道員

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道員(どういん、満洲語ᡩᠣᠣᠯᡳ
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、dooli hafan)、または単にとは、中国明代清代の地方の官職の一つで、道尹、道台、道憲、観察、廉車、廉使、観察使などとも呼ばれた。この官職は通例ではの間に設けられ、役所の主官となる。そのほか、「運道員」のような専任の官職もあった。また、布政使按察使の副官も道員で、前者は「守道」、後者は「巡道」と呼ばれた[1]

清の乾隆十八年、道員は正四品と定められたが、別の肩書をつけて位階を昇格させることもできた。例えば台湾兵備道は按察使を加えることで、正三品となった。乾隆十八年、全国の道員八十余名だった。嘉慶4年、道員には密折奏事上封事)を行う権限が与えられた。道員はこの権限を持つ文官の中で最も低い品級だった[1]

民国元年(1912年)、宣統帝が退位して中華民国が建国され、道員は観察使と改称された。民国3年(1914年)、北洋政府によって道尹と改称された。民国17年(1928年)、国民党の北伐が完了して「道」は廃止され、各省には改めて「行政督察区中国語版」が設けられ、「行政督察專員公署」(專署)が行政督察区の行政機関となった。行政長官は「行政督察專員」、略して「行署專員」と呼ばれた。

脚注[編集]

  1. ^ a b 《清史稿》卷116

参考文献[編集]