逸見繁経
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時代 | 室町時代後期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 文明2年7月19日(1470年8月15日) |
別名 | 弾正忠 |
主君 | 武田信賢 |
氏族 | 逸見氏 |
父母 | 父:逸見真正? |
逸見 繁経(へんみ しげつね)は、室町時代後期の武将。若狭国守護・若狭武田氏の家臣。若狭武田氏被官である逸見氏の一族。逸見真正の子とも弟ともいわれる。弾正忠と称す。
略歴
[編集]武田信賢に仕える。信賢の奉行人として、安芸国・若狭両国において活躍した。
応仁の乱が起こると、京都における武田軍の大将として奮戦するが、文明2年(1470年)7月19日の勧修寺(山科)の合戦で戦死した。『大乗院旧記』に「去十九日於山階逸見弟打死云々」とあるため、従来は逸見真正の弟と考えられてきたが、最近では逸見氏嫡流は、初め弾正忠、後に駿河守を称したことがわかってきており、駿河守を称した真正の子であるという説も有力となっている。