趙姫 (前漢)

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趙姫(ちょうき、紀元前3世紀? - 紀元前198年)は、前漢の女性。姓およびは共に不明。

略歴[編集]

元々は張敖の一人であったが、紀元前199年に高祖劉邦に献上された。劉邦とのあいだに子(劉長)を身籠ったが、張敖の家臣の貫高らの謀反に連座されて、呂后(呂雉)により逮捕され、投獄された。

彼女の弟の趙兼(周陽由の父)は、呂后に仕えた審食其に嘆願して、助命したがこれを聞いた呂后は怒って拒絶し、審食其もこれ以上のことはせずに放置した。そのために、彼女は絶望して男子を出産直後に自殺した。

この男子はと名付けられて、呂后の下で育てられた。紀元前196年に淮南王英布が反乱を起こすと、父劉邦から淮南王に封じられた。長じて、自分の生い立ちに関して、審食其が生母を助命しなかったと聞いて、彼を恨むようになった(以降は劉長の項を参照)。