護神

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
アメリカの国立樹木園に展示されているジョン・ヨシオ・ナカの傑作、『護神』
ジョン・ヨシオ・ナカ
歴史的な盆栽作品 NO.201 護神の銘札(国立樹木園)

護神 (英語: Goshin)[1]とは、ジョン・ヨシオ・ナカ英語版の盆栽作品。鉢に寄せ植えられたイブキの変種11本からなる。最初の1本をナカが育て始めたのは1948年のことである。1984年にナカがアメリカ盆栽連盟に作品を寄贈し、以降『護神』はアメリカ国立樹木園で展示されている。それぞれの木はナカの孫たちを表している。

歴史[編集]

1948年にナカは最終的に『護神』として仕上がる11本の木のうち2本に取り組み始めた。はじめは同じ高さの2本を使った双幹仕立てだった。1953年には、彼がもつ講座での実物教授を通じてイブキの直幹盆栽を製作している。さらに(後に作品中で最も背の高い、主要な木となる)1本を手に入れると、土に埋め戻して徐々に細く、形が整うように育てていった。それが展示に耐えうるとナカが判断したのは1960年だった[2]

『護神』にはじめて寄せ植えとしての姿が定まったのは1964年のことである。日本の寺社のそばに群生していたスギの森にインスピレーションを得たナカは、はじめて十分に育っていた4本の木を一つの鉢にまとめ、1.2mの高さをもつ作品構成にしたのだった[2][3]。まもなく3本が加わり、7本仕立ての盆栽が出来上がった。しかし鉢の水はけが悪かったために7本のうち1本が腐ってしまい、何度も替えねばならなったため、ナカにはより安定した水はけが得られるように鉢に手を入れる仕事もあった。また当時のナカには7人の孫がおり、1人1人が盆栽の1本1本で表されていたのだが、後継となる盆栽作家たちのすすめもあり、彼は作品に「霊的なものの守り手」という意味で『護神』と名づけた。これは作品をつくるにあたって影響を受けた森に囲まれた寺社に対する目配せでもあった。1973年にはナカは11人の孫に恵まれ、盆栽もまた調和の度合いを増していた[2]

1984年3月、この作品はフィラデルフィア・フラワー・ショーに出品された(この展示会にはおよそ25万人が訪れている)[4]。ショーの閉幕にあたって、ナカは自身も1977年の創立に尽力したアメリカ盆栽連盟への寄贈を表明し、作品はワシントンの国立樹木園内にある盆栽・盆景博物館にできた北アメリカ館(彼にちなんでナカの名が冠された)で展示されることになった[5]。この年以降、この作品は何度となく著名な専門誌の表紙を飾り、最もよく知られた盆栽作品の一つとなったのである[4]

ナカは『護神』の管理と1999年の大規模な修繕作業も含めた手入れのためにワシントンに繰り返し通うことになった。1999年のうちに、彼は二作目の護神となる作品をものにしている。2004年にナカが死んだとき、あるフランスのサイトに掲載された漫画にはこんな一文があった。「ジョン・ナカが亡くなった。ささやくような驚きの声が『護神』の枝のあいだを巡ってあがった」[4]

出典[編集]

  1. ^ Akey C.F. Hung (April–June 2013). “How did John Naka write Goshin in Japanese?”. BCI Magazine: 59. 
  2. ^ a b c William N. Valavanis, "The History of Goshin (Protector of the spirit)", North American Bonsai Federation Newsletter #1, Feature #5 (December 2002). Accessed August 9, 2007.
  3. ^ Gallery MuseumDesigning Bonsai. Accessed March 28, 2008.
  4. ^ a b c John Y. Naka Biography, Part II, accessed August 9, 2007.
  5. ^ "John Naka", The National Heritage Fellowship Program, 1992. Accessed August 9, 2007.

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯38度54分43.56秒 西経76度57分49.68秒 / 北緯38.9121000度 西経76.9638000度 / 38.9121000; -76.9638000