諏訪頼高
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| 時代 | 戦国時代 |
|---|---|
| 生誕 | 享禄元年(1528年) |
| 死没 | 天文11年7月21日(1542年8月31日)[1] |
| 改名 | 豊増丸(幼名)、頼高 |
| 別名 | 勝三郎 |
| 墓所 | 山梨県甲府市の東光寺 |
| 主君 | 武田信玄 |
| 氏族 | 諏訪氏 |
| 父母 | 父:諏訪頼隆 |
| 兄弟 | 頼俊、頼重、頼高 |
諏訪 頼高(すわ よりたか)は、戦国時代の武将、諏訪大社大祝。
天文7年(1538年)兄・諏訪頼重の命により、叔父の諏訪頼寛から諏訪大社大祝を継承する。天文11年(1542年)甲斐の武田晴信(信玄)の信濃に侵攻に抗戦するが敗れて降伏した。その後も諏訪に残るが、禰宜太夫の矢島満清の讒言にあい、頼重と共に甲斐に送られて自害させられた。
脚注
[編集]- ^ 『富士吉田市史 通史編 第1巻(原始・古代・中世)』富士吉田市、2000年、p.427。