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諏訪頼高

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
諏訪頼高
時代 戦国時代
生誕 享禄元年(1528年
死没 天文11年7月21日1542年8月31日[1]
改名 豊増丸(幼名)、頼高
別名 勝三郎
墓所 山梨県甲府市東光寺
主君 武田信玄
氏族 諏訪氏
父母 父:諏訪頼隆
兄弟 頼俊頼重頼高
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諏訪 頼高(すわ よりたか)は、戦国時代の武将、諏訪大社大祝

天文7年(1538年)兄・諏訪頼重の命により、叔父の諏訪頼寛から諏訪大社大祝を継承する。天文11年(1542年)甲斐の武田晴信(信玄)の信濃に侵攻に抗戦するが敗れて降伏した。その後も諏訪に残るが、禰宜太夫の矢島満清の讒言にあい、頼重と共に甲斐に送られて自害させられた。

脚注

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  1. ^ 『富士吉田市史 通史編 第1巻(原始・古代・中世)』富士吉田市、2000年、p.427。