観音塚古墳 (羽曳野市)
観音塚古墳 | |
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開口部 | |
所在地 | 大阪府羽曳野市飛鳥字観音塚 |
位置 | 北緯34度32分14.8秒 東経135度38分28.5秒 / 北緯34.537444度 東経135.641250度 |
形状 | 円墳 |
規模 | 直径13m |
埋葬施設 | 横口式石槨 |
築造時期 | 7世紀中葉頃 |
史跡 | 国の史跡 |
観音塚古墳(かんのんづかこふん)は、大阪府羽曳野市飛鳥にある古墳。形状は円墳。国の史跡に指定されている。
内部に切石を組み合わせて構築した横口式石槨(石室構造の1種)を有しており、飛鳥時代に造られた終末期古墳の1つである。
概要
[編集]鉢伏山から派生する尾根上に立地し、近鉄南大阪線上ノ太子駅の北方約600メートルにある。周辺は飛鳥千塚古墳群をはじめとする群集墳が営まれ、それらの中に数基の終末期古墳が点在しており、当古墳はその1基である。墳丘の規模、形状は、ぶどう園として利用され、盛土の一部が失われていたことから明確ではないが径13メートルの円墳とみられる。
石槨構造
[編集]埋葬施設は、周辺で産出する石英安山岩の切石を組み合わせた横口式石槨で、石槨部、前室、羨道で構成されている。石槨部は身と蓋の2石で構成され、天井石の内側を屋根型に整形しており、家形石棺の内側の形状と共通する。石槨部の規模は、長さ1.93メートル、幅0.92メートル、高さ0.78メートルで南小口には幅60センチ、高さ64センチの横口部を設け、扉をはめ込む段が造り出されている(扉石は亡失)。前室では、石槨部入口に密着して、石槨部の床面に高さを合わせた切石が据え置かれている。前室入口は階段状の敷居石が設置された後、柱状の石材を両側に立て、その上に梁石を架け渡しており、ここにも扉がはめられていたようである。前室の壁面は東面に7石、西面に8石の切石をモザイク状に組み合わせ、隙間がほとんどないという。こうした高度な石積み技術は、周辺のオーコ8号墳、鉢伏山西峰古墳にも認められ、朝鮮半島に技術的系譜を求める見解があり、石槨部の構築には高麗尺が用いられたという説もある。埋葬施設は明治以前から開口しており、副葬品については不明である。1981年(昭和56年)に国の史跡に指定されている。
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石槨部
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前室(開口部方向)
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前室(石槨方向)
文化財
[編集]国の史跡
[編集]- 観音塚古墳 - 1981年(昭和56年)4月22日指定[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 「観音塚古墳 羽曳野市」『ふたつの飛鳥の終末期古墳 大阪府立近つ飛鳥博物館平成21年度特別展図録』 大阪府立近つ飛鳥博物館 2009年 62頁
- 『図説 日本の史跡 第2巻 原始II』、同朋舎、1991