蛇喰古墳

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蛇喰古墳(じゃばみこふん)は、古墳時代後期に築造された前方後円墳

所在地[編集]

茨城県牛久市神谷2丁目21-3

概要[編集]

牛久市内の古墳時代集落跡と考えられている遺跡は、合計99ヶ所が確認されている。一方、市内の古墳は、かつて100基近くあったと考えられるが、現在は24ヶ所に51基が残されている。その殆どが円墳であるが、古墳時代集落群の首長の墳墓と思われる前方後円墳として、神谷(蛇喰古墳)、城中(明神塚古墳)、奥原(獅子見塚古墳)の3ヶ所にある。 蛇喰古墳は、牛久市内の古墳では最大の全長45メートルの前方後円墳で、古墳時代後期の築造とみられる。埴輪などは確認されていない。 前方後円墳は、首長墓として築造されたものと考えられ、牛久沼と小野川に挟まれる現市街地の古墳時代集落群の首長墓であったものと思われる。

隣接する貝塚台古墳[編集]

蛇喰古墳の南側200メートルに貝塚台古墳があり、蛇喰古墳と一体の古墳群であったものと考えられる。貝塚台古墳の地下60センチ付近から箱式石棺が発見され、子供とみられる人骨二体と直刀五振り、耳環一対が出土している。

墳頂の稲荷社[編集]

蛇喰古墳は、神谷葡萄園の一角にあり、この古墳は、肌背塚あるいは赤裸塚と呼ばれていた。後円部の墳頂にある稲荷社は、神谷伝兵衛の出身地である愛知の豊川稲荷を祀ったもので、はシャトーと同じ赤レンガで築かれ、石の鳥居にはシャトー建設中の明治35年の年代が刻まれている。

参考文献[編集]

  • 牛久市史 原始古代中世