蕭孝忠

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蕭孝忠(しょう こうちゅう、? - 1043年)は、(契丹)の政治家は撒板。小字は図古斯。欽哀蕭皇后の従弟にあたる。

経歴[編集]

開泰年間、祗候郎君となった。聖宗の娘の晋国公主耶律搠古を妻に迎え、駙馬都尉の位を受けた。殿前都点検に累進した。太平年間、北府宰相に抜擢された。

重熙7年(1038年)、東京留守となった。当時、渤海人が蹴鞠をすることが禁止されていたため、孝忠はその禁を弛めるよう上奏して、受け入れられた。

重熙12年(1043年)1月、楚王に封じられ、北院枢密使に任じられた。北院・南院の枢密を統合することを提案して上奏したが、実施されないまま、7月に死去した。11月、楚国王に追封された。

子の蕭阿速は、南院枢密使に上った。

伝記資料[編集]