荘静皇貴妃

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荘静皇貴妃(そうせいこうきひ、1837年 - 1890年)は、咸豊帝の側妃。姓はタタラ(他他拉)氏。栄安固倫公主の母。

1852年、数え16歳のとき、3年ごとに紫禁城で行われる后妃選定面接試験「選秀女」を受けて合格する。翌年5月9日(6月26日)、17歳で咸豊帝の後宮に入って「麗貴人」となった。後に麗嬪に進んだ。1855年、皇長女(栄安固倫公主。咸豊帝の第一子)を生み、麗妃(yangsangga fei)に昇進した。

同治帝の即位後、皇考麗皇貴妃に尊封された。光緒帝の即位後、皇考麗皇貴太妃に尊封された。1890年に病没した。「荘静」とされ、定陵の妃園寝に正面首座として埋葬された。

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伝記資料[編集]