脇坂千四郎

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脇坂 千四郎(わきさか ちしろう、慶応元年(1865年[1]- 没年不詳)は、日本の造園家

1896年(明治29年)、宮内省内匠寮場所付雇となり、1905年(明治38年)に内苑局技手となる[1]。1914年(大正3年)に大礼使書記、また同年に宮内技手となり、1916年(大正5年)に退官する[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 『皇室建築 内匠寮の人と作品』429頁。

参考文献[編集]