緑色火球

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緑色火球(りょくしょくかきゅう、英語 Green fireballs)は、 1940年代後半から目撃されている未確認飛行物体の一種である。[1] 初期の目撃は、おもにアメリカ合衆国南西部、とくにニュー・メキシコで、おきた。[2][3][4] それらはかつては政府にとって心配であったが、なぜなら、ロスアラモス国立研究所(Los Alamos National Laboratory)やサンディア国立研究所のような、敏感な調査、軍事施設のまわりにしばしば群がらせられたから。[2][3][4]

隕石専門家ドクタ・リンカーン・ラパズ(Dr.Lincoln LaPaz)は、軍事のために火球調査の先頭に立った。 ラパズの結論は、複数の物体は隕石の一種であるにはあまりに多くの変則な特徴を示し、そのかわりに人工的で、ひょっとするとソヴィエトのスパイ装置である、というものであった。 緑色火球は、評判の高い多くの人々に目撃され、そのなかには、ラパズ(LaPaz)、傑出したロス・アラモスの科学者ら、カートランド空軍基地(Kirtland Air Force Base)の諜報将校ら、そしてエア・コマンド・デフェンス・パーサネル(Air Command Defense personnel)がふくまれた。[5] 1949年2月のロス・アラモス会議(Los Alamos conference)の出席者は前述の目撃者ら、プロジェクト・サイン(Project Sign)、世界的に有名な高層大気物理学者ドクター・ジョセフ・カプラン(Dr. Joseph Kaplan)、水素爆弾科学者ドクター・エドワード・テラー(Dr. [[Edward Teller)、その他の科学者と高級将校らであったが、緑色火球は自然現象であると、全員一致からはほど遠いけれども、結論した。 会議出席者にとって、緑色火球の源は知られなかったけれども、その存在は疑問視されなかった。[6] 秘密会議は、ロス・アラモスで現象を研究するために 英語版[要出典]、そしてワシントンでアメリカ空軍科学諮問委員会によって、召集された。[2][3][4][7]

1949年12月に、プロジェクト・トウィンクル(Project Twinkle)、緑色火球の観測と写真ステーションのネットワーク、は、設立されたが、しかしけっして十分に実装されなかった。 それは2年後に中止され、その公式結論は、現象はその源は十中八九、自然的であるというものであった。[8]

緑色火球は、自然の、人工の、そして地球外生命の起源を与えられ、そして冷戦およびUFO研究の双方と関連づけられている。[2][3][4] 現象に関する広範な政府の文書足跡(paper trail)のために、多くのUFO研究者は、緑色火球を未確認飛行物体のうちで最高の文書化された例であると見なしている。

初期の緑色火球[編集]

初期のいくつかの報告は、1948年11月後半から来た[1]が、しかし最初は軍用の緑色閃光(military green flare)として忘れ去られた。 1948年12月5日に、飛行機乗員2人がべつべつに、1人は軍人(空軍C-47、キャプテン・ゴード(Captain Goede)、午後9時27分、アルバカーキの東方10マイル (16 km))で、1人は文民(DC-3、パイオニア・フライト、午後9時35分、ラス・ヴェガスの東方)、それぞれが「緑色火球」("green ball of fire")を見たと主張した。 C-47乗組員は、ラス・ヴェガス近くで22分前に同一の物体を見ていた。[9] 軍事乗組員は、光を、それは上向きに、それから下向きでなく平らにアーチした以外は巨大な緑色の隕石と評した。[9] 文民乗組員は、光を、軌跡が隕石にしてはあまりに低く平らな軌跡をしたと評したが、それは最初、自機と並んでそして前方にいたが、しかし衝突のコースを直進してきて、物体が満月の大きさに見えたときパイロットは飛行機を外さざるをえなかった。[10] AFOSIの調査者2人は - 2人とも経験のあるパイロットであった - 12月8日の晩に飛行機を飛ばしているあいだに緑色火球を目撃した。 彼らは、自機らの上、約2,000フィート (610 m)にあって、空軍でふつうに使用される緑色閃光にざっと似て、ただし「はるかにより激しい」("much more intense")そして明白に「かなりいっそう明るい」("considerably brighter")と言った、 光は、ほとんど瞬間に、最高の輝きになるようにおもわれた。 報告は、光は「流れ星、隕石、あるいは閃光よりも明確に大きく、明るかった」("definitely larger and more brilliant than a shooting star, meteor or flare")と述べた。 光は、「ほとんど平らに、地上に平行に」("almost flat and parallel to the earth")動きながらわずか数秒間、続いた。 光の「軌跡はそれからすばやく落ち」("trajectory then dropped off rapidly")、「赤みがかったオレンジ色の破片の尾を」("a trail of fragments reddish orange in color")ひいてそれから地面のほうへ落ちた。英語版[要出典]

翌日、AFOSIは、ドクター・リンカーン・ラパズに相談したが、彼は、ニューメキシコ大学(University of New Mexico)からの天文学者である。英語版[要出典] ラパズ自身は、12月12日に「緑色火球」("green fireball")を見たが、これはまたロス・アラモス国立研究所でも見られ、そのためラパズは三角測量を使用して軌跡を決定するすることができた。 これから、ラパズは、軌跡の中心はロス・アラモスの真上であることを発見した。英語版[要出典]

12月20日の空軍宛ての手紙で、ラパズは、物体は隕石であるにはあまりにおそく動き、低い高度で飛んでいる隕石に典型的であろう「スパークあるいは埃の雲の尾」("trail of sparks or dust cloud")を残していないと書いた。英語版[要出典]

1949年1月13日に、以下のメッセージは、テキサスの第4軍司令部(Fourth Army Headquarters)の軍諜報機関(Army Intelligence)のディレクターに送られた: 「ニュー・メキシコの工作員らはたいへん心配しています... ある外国勢力は、自己分解するように設計された成層圏装置のついた「検出弾」('sensing shots')を作っている[かもしれない]... 現象は、外国勢力による放射線戦争実験の結果[であるかもしれない]...光線は殺人的であるかもしれない...飛行機墜落の原因は近年におこっている... これらの事象は、とくに敏感な施設の付近で起きているのでたいへん重要なので、科学委員会は派遣される[べきで]...状況を研究するために」("Agencies in New Mexico are greatly concerned . . .Some foreign power [may be] making 'sensing shots' with some super-stratosphere成層圏 device designed to be self-disintegrating . . . The phenomena [may be] the result of radiological warfare experiments by a foreign power . . . the rays may be lethal or might be . . . the cause of the plane crashes that have occurred recently . . . These incidents are of such great importance, especially as they are occurring in the vicinity of sensitive installations, that a scientific board [should] be sent . . . to study the situation.")英語版[要出典]

1月30日に最も明るく、広く見られた火球目撃は、ニュー・メキシコ、ロズウェル(Roswell)の近くでおきた。 翌日、FBIは、陸軍および空軍諜報によって空飛ぶ円盤と火球は最高秘密であると知らされた。 ラパズは、FBIと軍事諜報の助力を得て、幾百人もの目撃者にインタヴューし、そしてふたたび軌跡を三角測量することによって破片を回収しようとしたが、しかしふたたび不成功であった。英語版[要出典]

ラパズは、自分自身の目撃と無数の目撃者のインタヴューののち、「緑色火球」("green fireballs")は人工的な現象であると結論していた。英語版[要出典] 2月8日に、彼は、ドクター・ジョセフ・カプラン(Dr. Joseph Kaplan)に会ったが、彼はUCLAの地球物理学者で空軍科学諮問委員会(Air Force Scientific Advisory Board)のメンバーであった。

空軍のためのラパズの非公式な科学的な研究は、ただちに公式になり、「空中現象会議」("Conference on Aerial Phenomena")とよばれ、2月なかばにロスアラモス国立研究所でデータをレヴューするために召集された。英語版[要出典]

科学者らは、機器局のネットワークは、火球を写真し、分析するために設置されるべきであると感じた。英語版[要出典]

1949年4月までに、同様の目撃は、テキサスのフォート・フード(Fort Hood)の核兵器貯蔵施設の上空で報告された。英語版[要出典] 侵入はあまりに重大と見なされたので、空軍とちがって陸軍はただちに観測ネットワークを設置したほどである。英語版[要出典]

7月24日に、緑色火球は、ニュー・メキシコ、ソコロ(Socorro)近くに落ちるのが観測された。英語版[要出典] 埃のサンプルは、そこのマインズ学校(School of Mines)で集められ、そして大量の銅が含まれているのがわかった。英語版[要出典] ラパズは、銅は、緑色火球の特徴の、同じ黄-緑色で燃えるので、これをたいへん重要だと考えた。[疑問点] 彼はまた、もし銅片は緑色火球から来るならば、銅は隕石起源の埃にけっして見つけられないから、それらは隕石起源の埃にけっして見つかるはずがないことに注目した。英語版[要出典] ラパズは、さらに空気と土のサンプルは火球が見られた地域で取られることを提案した。

10月14日に別のロス・アラモス会議は招集された。英語版[要出典] パズルの中には、突然の襲撃があって、そしてニュー・メキシコでの目撃の高い集中は自然現象とはまったく異なっていた。 これにもかかわらず、火球はその起源において大気的であると決定された。 計器観測は、 - 写真、三角測量、分光器 - 謎を解くのに本質的であると見なされた。

11月3日にドクター・カプランは、プランを、ペンタゴンの空軍科学諮問委員会に持ってきた。 カプランはこのときまでに、火球はまれな隕石の新種であるかもしれないと決めていた。英語版[要出典] がそれにもかかわらず、科学者の大部分は、明るさ、軌跡、そして音の無さに当惑していた。英語版[要出典] 隕石仮説に矛盾するようにおもわれて、カプランはまた言った「この方向の高い選択性は、あるグループがロス・アラモスを新種の兵器で針先で刺し貫こうとしているようにおもわれます。」("This high selectivity of direction seems to indicate that some group was trying to pinpoint Los Alamos with a new sort of weapon")英語版[要出典] パニックの可能性の懸念と引き続きの秘匿の必要が表明された。

プロジェクト・トウィンクル[編集]

最後に、1年間近くの遅延策ののち12月20日に、計器観測プログラムは認められ、そしてプロジェクト・トウィンクルは生まれた。 最初の計器ポスト(2人の士官から成る)は1950年2月にホローマン空軍基地(Holloman Air Force Base)に設置された。 ほかのたった1つの計器ポストは設置された。 ラパズは、不適当としてプロジェクト・トウィンクルを批判し、緑色火球は「集中的な、システマティックな調査」("intensive, systematic investigation")に値すると主張した。英語版[要出典] トウィンクルは、なんとかして少数の出来事を記録したが、しかし集められたデータは、最後のトウィンクル報告で不完全であると言われた。英語版[要出典] そのうえ、追跡データ分析のために資金は供給されなかった、と述べられた。 そのうえ、観測ポストの近くの火球の活動は、9月の報告で注目されたように、英語版[要出典]事実上、姿を消すようにおもわれた。 「システマティックな監視が立てられるやいなや、火球は突然、終わったことは重要であると考えられるかもしれない」("It may be considered significant that fireballs have ceased abruptly as soon as a systematic watch was set up.")英語版[要出典]

ラパズその他の反対を押し切って、プロジェクト・トウィンクルの最終報告(外部リンク参照)は、緑色火球は、十中八九、自然的な出来事、ひょっとすると太陽黒点活動あるいは隕石の異例な集中であると結論した。 報告は、「『緑色火球』としばしばよばれたやや奇妙な観測は自然現象どころではない」("There has been no indication that even the somewhat strange observations often called 'Green Fireballs' are anything but natural phenomena")と述べた。 トウィンクルは1951年12月に中止された。

自然として研究された火球その他を軽く見ようとするトウィンクルの最終報告の努力にもかかわらず、USAFの諜報理事会(Directorate of Intelligence)からの1952年2月の追跡報告は意見を異にした。

「科学諮問委員会事務局(The Scientific Advisory Board Secretariat)は、このプロジェクトはさまざまな理由で機密扱いを解除しないように提案したが、そのなかのおもなものは、火球その他のどれも科学的説明が報告によって明らかにされないこと、一部の有名な科学者はなお、観測された現象は人造であると信じていることである。」("The Scientific Advisory Board Secretariat has suggested that this project not be declassified for a variety of reasons, chief among which is that no scientific explanation for any of the fireballs and other phenomena was revealed by the report and that some reputable scientists still believe that the observed phenomena are man-made.")

翌月、諜報事務局(the Directorate of Intelligence)から調査発展理事会調査部門(the Research Division of the Directorate of Research and Development)宛ての別の手紙は、報告は、真の解決は供給されなかったので、公表されべきでないと述べた:

「現状での公衆への情報公表は、不相応な推測を引き起こし、未確認飛行物体にかんする以前の公表で起きたような大衆の保証の無い恐怖をうみだすと信じられています。これは、真の解決の無いとき公表から生じます。」("It is believed that a release of the information to the public in its present condition would cause undue speculation and give rise to unwarranted fears among the populace such as occurred in previous releases on unidentified flying objects.This results from releases when there has been no real solution.")

ロス・アラモスの科学者らの意見[編集]

エドワード J. ラッペルト(Edward J. Ruppelt)は、USAFのプロジェクト・ブルー・ブックのUFO調査のディレクターであるが、自分は1952年前半にロス・アラモス国立研究所を訪れ、そこのさまざまな科学者、技術者に話しかけたが、そのすべてが緑色火球の目撃を経験していたと述べた。 彼らのうちだれもが、新たな自然現象、政府の秘密計画、あるいは心理学的に拡大された隕石のような、慣習的な説明を持っていると信じなかった。 そのかわりに、科学者らは、それらは、地球の上空数百マイルを空中静止している宇宙船からわれわれの大気に突出された地球外生命体の探り針であると推測した。 ラッペルトはコメントした、「もし2年前であればわたしは有名な科学者らがそういうびっくりさせられるような声明をするのを聞いて驚いたであろう。 しかしながらいま、わたしはそれを当然のことと思った。 わたしは、同様に資格のあるグループの同じ種類の声明を多数回、聞いたことがあった。」("Two years ago I would have been amazed to hear a group of reputable scientists make such a startling statement.Now, however, I took it as a matter of course.I'd heard the same type of statement many times before from equally qualified groups.")[11]

しかしながら、そういう意見は明白に、全員一致であった。 その直後に、ラッペルトは、自分は、アルバカーキのラパズを訪ねたと言った。 ラッペルトは報告した、「ラパズは、なかには、ドクター・ジョセフ・カプランやドクター・エドワード・テラーのような、緑色火球は自然な隕石であると考えるひとびともいると言った。 しかし彼はそのようには考えなかった」("LaPaz said that some people, including Dr. Joseph Kaplan and Dr. Edward Teller, thought that the green fireballs were natural meteors.But he didn't think so.")英語版[要出典] ラパズは、自分が火球は人為的であると考えるに至ったさまざまな変則な特徴を繰り返した。 ラッペルトもまた、自分は以前ロスアンゼルスでカプランに会ったと言い、そしてカプランはラパズを職業的に尊敬したけれども、彼は火球は人造であると確信しなかった。

ラッペルトはさらに、自分は1949年2月のロス・アラモスの会合に居た人々のうち幾人かと問題を議論したと言った。 「その会合に居た人々はわたしに、ドクター・ラパズの説はたいへん興味深い、それぞれの点は注意深く考慮されていると語った。しかし明らかにそれは十分に結論的でなかった、なぜならば2日後に会議は解散したとき、緑色火球は或る種の自然現象であると決められた。」("People who were at that meeting have told me that Dr. LaPaz's theory was very interesting and that each point was carefully considered.But evidently it wasn't conclusive enough because when the conference broke up, after two days, it was decided that the green fireballs were a natural phenomenon of some kind.") that indicates that such a group decision was ever reached. しかしながら、ラッペルトが語ったかもしれないこととそれから書物で報告したことにもかかわらず、そういうグループの決定が達したことを示すものはなにもなかったtranscript of the conference。 そのかわりに、意見は分かれたままで、おおきな当惑が表明され、そして問題を解決するためにさらなる調査が推薦された。

天文学者の緑色火球の目撃[編集]

この期間にニュー・メキシコで緑色火球を目撃したと知られている、ラパズ以外のほかの天文学者は、1956年に3つ見たと言ったクライド・トンボーと、1949年にアラモゴード近くで1つ見たドクター・ドナルド・メンツェル(Dr. Donald Menzel)であった。 空軍科学諮問委員会宛ての手紙で、メンツェルは、現象は本物にちがいないと認め、当惑を表明し、もし自然現象ならばなぜ火球はニュー・メキシコに限られるのかその理由を怪しんだ。[12] メンツェルは結局、有名なUFOの正体をすっぱぬく人になり、そして書物のうち2つで、自分はけっして自分の目撃に当惑していない、物体はふつうの隕石火球とただちに見分けたと述べた。[13]

プロジェクト・トウィンクル後の緑色火球[編集]

プロジェクト・トウィンクルの中止にもかかわらず、緑色火球はなおもときどき目撃され、そしてラパズはコメントし続けた。 1951年11月前半、トウィンクルの公式の修了の1ヶ月前、緑色火球の目撃の巨大な突風は南西その他で起きた。 ラパズは、そういう火球の集中は歴史上、先例が無いと言っていると広く引用され、そして彼は、それらが自然現象であると信じなかった。 (詳細は下方の#原子実験と降下物 説参照) 1952年4月に、緑色火球とプロジェクト・トウィンクルは、有名な『Life』雑誌の、「"Have We Visitors From Space?"」という題の記事で書き立てられた。 1951年11月からのアリゾナ上空の、最近の緑色火球事象は、言及された。 ラパズはふたたび、なぜ火球はふつうの隕石でないのかその理由をくりかえした。 記事はまた、有名なロズウェル事件とほぼ同じ時期の、1947年7月10日の、ニュー・メキシコ、ロズウェルの近くのラパズのUFO目撃を詳述した。 しかしながら、ラパズは、匿名のままであった。 1949年の天文学者クライド・トンボー、冥王星の発見者、によるUFO目撃も、記述された(Life magazine article)。

1953年1月に、ラパズは、緑色火球は人工装置であり、合衆国と世界のその他を偵察するソヴィエトのミサイルであるかもしれないと言っていると新聞記事に引用された。英語版[要出典] ラッペルトによれば、緑色火球は1954年9月に再び出現した。 満月の大きさの1つは、コロラドを横切って進み、デンヴァーで火が付き、ニュー・メキシコ北部にはいるのが見られた。英語版[要出典] これは、サンタ・フェのフットボール・スタジアムで幾千人ものひとに見られた。 ラパズは調査のために呼び戻されたが、しかし記者に、自分は何かを見つけると期待していないと語った。 1955年4月3日から9日まで、5つの緑色火球はニュー・メキシコで、2つはカリフォルニア北部で、報告された。 少なくとも3つは、4月5日の午前中のなかばに、数分間以内に、報告された。 ラパズは述べた、「これは記録です...わたしは黄-緑色火球はふつうの隕石落下ではないと確信しています。 わたしは、1914年以来、空を観察しているし、わたしはあれのような隕石のような火球を見たことはまったくない。」("This is a record . . . I'm sure the yellow-green fireballs aren't ordinary meteorite falls.I've been observing the skies since 1914, and I've never seen any meteoritic fireballs like them.")英語版[要出典] 1965年3月にドクター J. アレン・ハイネック(Dr. J. Allen Hynek)による訪問で、ラパズは、ハイネックに、あれは、過ぐるクリスマスなみに最近に、報告されていたと語った(Steiger, p. 132)。

原子実験と降下物 説[編集]

緑色火球の近年の説は、ロバート・ヘースティングス(Robert Hastings)の2008年の書物『UFOs and Nukes』で導入された。 ロス・アラモスやカートランド空軍基地のような敏感な核施設の近くに集中しているようにおもわれることは最初から軍事諜報の心配であったけれども、 調査者ダン・ウィルソン(Dan Wilson)は、のちの目撃の重い集中もまた、1951年1月のネヴァダで始まった原子実験と相関関係があるかもしれないことを発見した。 とくに、緑色火球の目撃、そしてほかのUFO目撃は、風がほかの諸州に送った降下物の雲のドリフトを追いかけるようにおもわれた。

ヘースティングスは、ウィルソンの調査から多くの例を引証した。[14] ひょっとすると最もグラフィックな例は1951年11月1日と5日に原子実験の「バスター・シリーズ」("Buster series")のあいだに起こったが、これはあまりに多くの州での緑色火球の目撃の報告がともなったので、ニュー・ヨーク・タイムズさえ11月9日の記事「"Southwest's 7 Fireballs in 11 Days Called 'Without Parallel in History'"」を載せたほどである。 ドクター・ラパズはつぎのように言ったと広く引用された、「歴史上、現在の落下なみの5分の1もの高い隕石落下の率はけっして無かった。もしこの率が続くならば、わたしは、現象は自然なものでない、と推測するだろう...[それらは]ふつうの隕石のように少しもふるまわない。」("There has never been a rate of meteorite fall in history that has been one-fifth as high as the present fall.If that rate should continue, I would suspect the phenonenom is not natural... [they] don't behave like ordinary meteorites at all.")

最初に緑色火球は、降下物の雲がネヴァダを去ったとき、アリゾナとニュー・メキシコで報告されたが、しかし雲はさらに西、南、そして北へ広がったとき、緑色火球の目撃はそれからテキサス、メキシコ北部、アイオワ、カンザス、インディアナ、ミシガン、そしてニュー・ヨークで続いた。 降下物の一部はまた、11月7日にロス・アンジェルス地域に西に流れ、つづいて翌日、そこで緑色火球の目撃がつづいた。

『タイム』も11月19日に、「大きな火の玉」("Great Balls of Fire")という題のやや風刺的な記事で気がついた。 記事で、彼らは、緑色火球は原子実験と関連があると気楽に推測した。[15]

1951年11月の続発する火球目撃を要約して、ウィルソンは、コメントした、「一部の調査者は、放射能じたいが、ことによると静電効果として、緑色火球を生んでいるとほのめかしている。 ドクター・リンカーン・ラ・パズ(Dr. Lincoln La Paz)は、ちがうふうに考えた。 彼はこう言った、緑色火球は、ロス・アラモスとサンディア原子研究所(Sandia atomic labs)で、多くの機会に、あまりに規則的に動きそしてもっと早くに目撃されていたが、 そこでは、テキサスのキリーン基地(Killeen Base)でのみならず、測定可能な放射は放出されなかったが、そこでは武器が貯蔵されていた。 それだから、静電説は説得力はないようにおもわれる」("Some researchers imply that the radioactivity itself was producing the green fireballs, possibly as an electrostatic effect.Dr. Lincoln La Paz thought otherwise.He said that the green fireballs move too regularly and had been sighted earlier, on a number of occasions, at the Los Alamos and Sandia atomic labs, where no measurable radiation was released, as well as at Killeen Base, in Texas, where the weapons were simply stored.So it seems that the electrostatic theory doesn't stand up.")英語版[要出典]

ウィルソンは次のように結論した、「われわれは事実のひとつの声明をすることができる: 火球目撃は - 緑色か否かにかかわらず - オペレーション・バスター(Operation Buster)からの放射性の残骸を受けた地域で起きた。 これはたんなる偶然の一致であるか、それとも計画された出来事であるか? われわれは、まったくわからない、それだからわれわれができることは、データを集め、圧倒的に説得力のあるパターンが現われるかどうかを見つづけることである。」 がそれにもかかわらず、ウィルソンは、火球を指し示す証拠は本当で、人工的で、そしてそれらはなんらかのアジェンダの責任がある」("We can make one statement of fact:the fireball sightings - green or otherwise - occurred in areas that received radioactive debris from Operation Buster.Was this just coincidence, or a planned occurrence?We simply don't know, so all we can do is to continue to collect data and see if some overwhelmingly convincing pattern emerges."Wilson nonetheless felt the evidence pointed to the fireballs being real, artificial, and those responsible having some sort of agenda.")[16]

ヘースティングスはそれから、プロジェクト・ブルー・ブックの長エドワード・ラッペルトによる同様のコメントに注意し、彼が1952年前半前半に訪れたとき緑色火球にかんするロス・アラモスの多くの科学者の、それらは軌道を描いている宇宙船の地球外生命の探り針であるかもしれないという意見を引証した。 (上述#ロス・アラモスの科学者の意見参照)

コンドン委員会の説[編集]

1969年のコンドン委員会(Condon Committee)のUFO報告で、天文学者ウィリアム K. ハートマン(William K. Hartmann)は、緑色火球は、月表面への近年の隕石の衝突のあいだに押し出された月の物質によって説明されるだろうと考えた[3]。 ハートマンの理論は、そういう押し出された月の隕石は、地球の脱出速度の、ラパズによって緑色火球のために計算された異例に低い速度、つまりはるかに低い隕石速度を説明することができるだろうということであった。 ハートマンはさらに、説明や詳述なしに、「予言された特徴は、『緑色火球エピソード』のそれと一致する」("the predicted characteristics match those of the 'green fireball episode'")と主張した。

しかしながら、実際には、月からやって来る物体は、地球の脱出速度11 km/sほどの高速度で地球の大気にはいるであろう。 そして説は、ニュー・メキシコ地域への強い限定、ライム-緑色、低い高度だが音が無い、飛行機雲が無い、そして隕石破片が無い、のような、ラパズによって詳述された緑色火球のほかの多くの変則な特徴を説明しないであろう。英語版[要出典] ハートマンの仮説のまったく推測的な性質にもかかわらず、それは、ときどき、科学的事実として引証されている: たとえば、天文学者カール・セーガンはそれをそのようなものとして、1980年のテレヴィジョン・シリーズ『Cosmos: A Personal Voyage』で提示した。英語版 [要検証]

ドクター・リンカーン・ラパズのほかのUFO調査[編集]

ロズウェル事件(1947年)[編集]

少なくとも3人の目撃者は、陸軍および空軍の防諜にかかわる2人を含むが、ラパズは、ロズウェル事件ののち、引き入れられて目撃者にインタヴューし、墜落物体の軌跡を再構成した(affidavit of one witness)。 ひとりの防諜員は、ラパズは自分に、自分は、物体はトラブルを起こし、修理のために着陸し、ふたたび離陸し、それから爆発したと思ったと語ったと主張した。 彼らのうち2人はそれから、起源であるかもしれないものを推測した。 ラパズは、物体は地球外生命体の探針であるという考えだったとされる。

しかしながら、UFO研究者カール T. プフロック(Karl T. Pflock)[17]は、この証言のいくつかの面に疑いを差し挟むいくつかの事実を発見した。 たとえば、ラパズのロズウェル関与の証人とされるひとらのひとりは、ラパズは流暢なスペイン語を話すと主張したが、しかしプフロックは家族にインタヴューすることによってラパズはスペイン語をまったく話さないことを発見した。

変則な衛星(1950年代なかば)[編集]

ラパズの空軍への緑色火球に関する相談のほかに、1954年に彼はまた、天文学者クライド・トンボーとともに、軍のために、地球近くの軌道を描いている衛星をさがすことにかかわった(数年前にスプートニクが最初の人工衛星となった)。 1954年8月に、トンボーとラパズは、近年軌道に入ったわずか400と600マイル (970 km)の、衛星のうち2つを見つけたという話がプレスにはいった。 しかしラパズはのちに報告を否定した。[18](詳細は英語版Clyde Tombaughを参照)

サモラ/ソコロ(Zamora/Socorro)事件(1964年)[編集]

1964年、ラパズは、有名なソコロUFO事件の調査に周辺的にかかわり、ソコロの警察官ロニー・ザモラ(Lonnie Zamora)は、小さな卵形の物体が着陸するのを見た、物体のそばに2人のヒューマノイドが見え、自分が50フィート以内に近づくと物体は発進しすばやく姿を消したと主張した。 ラパズは、サモラにインタヴューし、彼を目撃者として保証した。

緑色火球の再訪(1965年)[編集]

ラパズの緑色火球に関する最後の知られたコメントは、1965年に天文学者J. アレン・ハイネック(J. Allen Hynek)の訪問を受けたときであったが、彼は空軍のプロジェクト・ブルー・ブックのコンサルタントであった。 ハイネックはソコロ事件をも調査していた。 ハイネックによれば、ラパズは、火球はUFO現象の最重要部分であると感じていた。 彼は、火球の変則な性格は公的調査によってけっして適切に説明されていないと確信していた。 ラパズは、火球は人工的であると考え続けたが、しかしいまや火球は、またソコロのふね(craft)も、合衆国政府の高度に秘密なプロジェクトであると信じた。 彼はまた、ハイネック、プロジェクト・ブルー・ブック、そしてその他を、「何か政府が議論してもらいたくないものの壮大な隠蔽」("a grand cover-up for something the government does not want discussed")の一部だと非難した。[19]

合衆国以外の緑色火球[編集]

合衆国以外の、プロジェクト・トウィンクルの初期のずっとあとに、緑色火球の複数の報告がある。[20] しばしば敏感な政府あるいは軍事基地のそばで: ランドルズ(Randles)とヒュー(Houghe)は、英国空軍のパイロットがイングランド、マンチェスター近くで3つの緑色火球と衝突しそうになったことに注意し、そして火球はまた1983年にサフォークの原子力発電所の近くで目撃された(Randles and Houghe, p. 92)。

また、2011年夏に、カナダ、アルバータ(Alberta)、コールド・レーク(Cold Lake)で、緑色火球の目撃があった。英語版[要出典] コールド・レークには特に、カナダ最大の空軍基地があり、そして1980年代のいくつかの反対ののち、コールド・レークはもはや核兵器を持っていない。

2016年10月31日に、緑色火球は、日本北部の新潟県の夜明け前の空で、目撃された。[21] 2016年11月22日に、別の火球は、アイルランド、キルデア(Kildare)で点つけられた。英語版[要出典] 2016年11月26日に、地元時間6時45分ころに、別のが、カルガリーの少し北で点つけられた。英語版[要出典]

南アフリカで、緑色のUFOがジェフェリーズ・ベー(Jeffreys Bay)の空、1000フィートに点つけられた。英語版[要出典] ボーイング737貨物航空機機長と副パイロットは、ケープ・タウン国際空港からポート・エリザベス国際空港に飛んでいたが、緑色物体に見える物が、自機のコックピットよりも高度を増し、上空1000フィートの自機の上の雲に達し、それから飛行機のコックピットの横をとおって地上へ戻るのを見たと報告した」とNSRIスポークスマン クレーグ・ランビノン(Craig Lambinon)は言った。 「目撃は、ポート・エリザベス国際空港の航空交通管制に報告されたが、管制はNSRIに、航空機あるいはふねが困ったことになる可能性を調査する助力を頼んでいた」("The sighting was reported to air traffic control at Port Elizabeth International Airport who requested NSRI's assistance to investigate the possibility that an aircraft or craft may be in difficulty.") ランビノンは、NSRIのジェフェリーズ・ベー・チームは夜じゅう、この件をモニターすると言った。 「緑色の物体はそれ以来、見られていないし、だれの報告も無いし、遅れたあるいは行方不明の、ふねあるいは航空機はない」("The green object has not been seen since and there are no reports of anyone, or craft or aircraft overdue or missing.")

注釈[編集]

  1. ^ a b Page 47, Ruppelt Edward, J. (1956) Report on Unidentified Flying Objects, DoubleDay
  2. ^ a b c d Ruppelt Edward, J. (1956) "report on unidentified flying objects", DoubleDay
  3. ^ a b c d Jerome, Clark (1998) "The UFO Book: Encyclopedia of the Extraterrestrial", Visible Ink Press
  4. ^ a b c d Maccabee, Bruce (2000) "The UFO-FBI Connection", Llewellyn Publications
  5. ^ Page 50, Ruppelt Edward, J. (1956) Report on Unidentified Flying Objects, DoubleDay
  6. ^ Pages 50-51, Ruppelt Edward, J. (1956) Report on Unidentified Flying Objects, DoubleDay
  7. ^ Transcript of Los Alamos conference
  8. ^ Ruppelt, 78–79, 81; Clark 1998, 263; Maccabee, 149–161; [1], [2]
  9. ^ a b Page 48, Ruppelt Edward, J. (1956) Report on Unidentified Flying Objects, DoubleDay
  10. ^ Pages 47-48, Ruppelt Edward, J. (1956) Report on Unidentified Flying Objects, DoubleDay
  11. ^ Ruppelt, Chapter 4
  12. ^ Menzel letter, May 16, 1949, cited at an Air Force Scientific Advisory Board meeting on the green fireballs in Washington, D.C., Nov. 3, 1949. The quoted section read, "Circumstances force me to conclude that the phenomena described are actually real. With regard to Dr. Kaplan's [meteor] explanation, which deserves very serious consideration, I merely raise the question as to why the phenomenon seems to be confined to the Alamogordo region."
  13. ^ For example, in contrast to his 1949 private statement to the Air Force that he didn't find the meteor explanation totally adequate, Menzel later wrote in his UFO debunking book "The UFO Enigma" (1977) with Ernest Tavres that, "He and several other astronomers present observed the bright green object as it slowly traversed the northern sector of the heavens, moving from east to west: they quickly and unequivocally identified it as a meteor, or bolide..."
  14. ^ Robert Hastings, UFOs and Nukes, 2008, pp. 64-84.
  15. ^ Hastings, 64-70
  16. ^ Hastings, 70
  17. ^ Pflock, Karl T. Roswell : Inconvenient Facts and the Will to Believe Prometheus Books, 2003
  18. ^ “Scientist denies space base find”. New York Times. (1954年10月10日). http://www.roswellproof.com/Satellites_NYTIMES_1954.html 
  19. ^ Steiger, pp. 132, 136
  20. ^ Blog listing modern green fireball reports from witnesses
  21. ^ “Mysterious green light 'fireball' spotted in Japan sky”. The Telegraph. (2016年11月2日). https://www.telegraph.co.uk/news/2016/11/02/mysterious-green-light-fireball-spotted-in-japan-sky/ 

情報源[編集]

  • Jerome Clark]], Unexplained! 347 Strange Sightings, Incredible Occurrences, and Puzzling Physical Phenomen, Visible Ink Press, 1993.
  • Jerome Clark, The UFO Book: Encyclopedia of the Extraterrestrial, Visible Ink Press, 1998.
  • Edward J. Ruppelt, The Report on Unidentified Flying Objects, 1956, Chapt. 4 [4]
  • Bruce Maccabee, The UFO-FBI Connection, Llewellyn Publications, 2000
  • Brad Steiger, Project Blue Book, Ballantine Books, 1976 (Contains letter from Dr. J. Allen Hynek of Dr. LaPaz expressing final opinion on green fireballs)
  • Jenny Randles and Peter Houghe; The Complete Book of UFOs: An Investigation into Alien Contact and Encounters; Sterling Publishing Co, Inc, 1994; 0-8069-8132-6

外部リンク[編集]