紀興道
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紀 興道(き の おきみち)は、平安時代初期の貴族。中納言・紀勝長の子。官位は従四位下・右兵衛督。
経歴[編集]
嵯峨朝の弘仁4年(813年)従五位下に叙爵し、雅楽頭に任ぜられる。弘仁6年(815年)備前介として地方官に転じる。
淳和朝で累進し、天長4年(827年)正五位下、天長9年(832年)には従四位下に至った。またこの間、兵部大輔・左中弁・右兵衛督と文武の諸官を務めている。承和元年(834年)6月21日卒去。
人物[編集]
家風を受け継ぎ、射礼の作法をよく伝えていた。大同年間に従五位上の位階にあり、同じく射礼の作法を伝えていた伴和武多麻呂と並称され、後世の武術に秀でた者は長く紀・伴両家の流儀に倣った。なお、両者の流儀には相違点が多数あったものの、概ね一致していたという[1]。
官歴[編集]
『六国史』による。
- 時期不詳:正六位上
- 弘仁4年(813年) 正月7日:従五位下。正月25日:雅楽頭
- 弘仁6年(815年) 3月13日:備前介
- 時期不詳:従五位上
- 天長4年(827年) 正月21日:正五位下
- 天長9年(832年) 正月7日:従四位下
- 時期不詳:兵部大輔。左中弁。右兵衛督
- 承和元年(834年) 6月21日:卒去