紀勝雄

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紀 勝雄
時代 奈良時代
生誕 不明
死没 不明
別名 堅魚
官位 従五位下左少弁
主君 淳仁天皇称徳天皇光仁天皇
氏族 紀氏
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紀 勝雄(き の かつお)は、奈良時代貴族。名は堅魚とも記される。官位従五位下左少弁

経歴[編集]

天平宝字6年(762年文部少丞官職にあった際、私願により法華経一部を書写するために、東大寺に対して写経生の借用を依頼している[1]

光仁朝宝亀2年(771年)従五位下に叙爵する。近江介を経て、宝亀5年(774年)左少弁に任ぜられた。

官歴[編集]

注記のないものは『続日本紀』による。

脚注[編集]

  1. ^ 『正倉院文書』

参考文献[編集]