米田邦造

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米田 邦造(よねだ くにぞう、1915年10月16日2001年10月23日)は、日本の古美術商。関西を代表する古美術商として知られていた。

生涯[編集]

1915年大阪府大阪市美術商秋香堂」を営んでいた米田長之助の息子として生まれた。

1939年、父長之助の死去に伴い、24歳で跡目を継ぎ、秋香堂の3代目主人となった。1945年大阪大空襲で店舗・住居が全焼。岸和田市へ疎開した。

1946年、大阪市南区八幡町(現中央区心斎橋筋)に新たな店舗兼住居を構え、店を再開。1950年、秋香堂を法人化し、株式会社米田商店を設立。同時に屋号を「春香堂」と改名する。

その後、関西のみならず全国の美術業界発展に努めた。1962年、大阪美術商協同組合の理事長に就任し、1990年まで務めた。1964年には株式会社大阪美術倶楽部の取締役社長に就任し、2000年まで務めた。

一連の功績に対し、1981年には藍綬褒章を、1988年には勲四等瑞宝章を、それぞれ受賞した。

86歳の誕生日を迎えた1週間後の2001年10月23日に死去した。