竹中靖一
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竹中靖一(たけなか やすかず、1906年6月9日-1986年12月19日)は、日本の経営学者。
経歴
1906年(明治39年)大阪府大阪市に生まれる。1929年(昭和4年)京都帝国大学経済学部卒。1932年(昭和7年)山口高等商業学校(旧制)講師、1934年(昭和9年)同校教授。1946年(昭和21年)同校を退職後、有邦建設取締役に就任。1949年(昭和24年)近畿大学教授[1]。
1960年「石門心学の経済思想」で大阪大学経済学博士。1977年定年、名誉教授。石田梅岩の石門心学を研究し、1955年心学の講舎明誠舎を復活させた。1964年「石門心学の経済思想」で日本学士院賞受賞[2]。
1984年(昭和59年)勤務先の近畿大学構内で脳梗塞のため倒れ、以降、自宅静養を余儀なくされ、大阪市から吹田市へ転居した。1986年(昭和61年)12月19日死去[3]。
著書
- 『六甲』朋文堂 1933
- 『日本経済史』ミネルヴァ書房 1953
- 『石門心学の経済思想 町人社会の経済と道徳』ミネルヴァ書房 1962
- 『日本的経営の源流 心学の経営理念をめぐって』ミネルヴァ書房 1977
共編著
論文
脚注
- ^ 竹中靖一『出身県別 現代人物事典 西日本版』p904 サン・データ・システム 1980年
- ^ コトバンク
- ^ “[https://singakumeiseisha.com/kikou/120711nakao-atuko-kikou/120706takenaka-yoshiko-kokoro132-kikoubun.pdf 元心学明誠舎理事長・竹中靖一逝去時、妻・芳 子が会誌「こころ」に寄稿した謝辞について]”. 心学明誠舎. 2022年7月10日閲覧。