福崎伸一郎
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福崎 伸一郎(ふくざき しんいちろう、1952年7月15日 - )は、日本の元裁判官[1]。 控訴審で逆転無罪を連発する裁判長として有名になっていた。
略歴
[編集]- 小倉高校卒
- 東京大学卒
- 1979年4月9日~1982年4月2日 名古屋地方裁判所判事補
- 1982年4月2日~1985年3月31日 徳島地裁・家裁判事補
- 1985年4月1日~1988年3月31日 福岡地裁・家裁判事補
- 1988年4月1日~1989年4月8日 福岡地裁・家裁小倉支部判事補
- 1989年4月1日~1993年3月31日 福岡地裁・家裁小倉支部判事
- 1993年4月1日~1996年3月31日 福岡地裁・家裁柳川支部判事
- 1996年4月1日~1998年3月31日 東京地方裁判所判事
- 1998年4月1日~1999年3月31日 東京高等裁判所第3刑事部判事
- 1999年4月1日~2003年3月31日 最高裁判所調査官
- 2003年4月1日~2006年3月31日 さいたま地方裁判所第1刑事部総括判事
- 2006年4月1日~2009年12月20日 東京地方裁判所第18刑事部総括判事
- 2009年12月21日~2013年6月23日 東京地方裁判所立川支部第1刑事部総括判事
- 2013年6月24日~2014年10月2日 宮崎地裁・家裁所長
- 2014年10月3日~2015年12月17日 福岡高等裁判所第1刑事部総括判事
- 2015年12月18日~2017年7月14日 大阪高等裁判所第1刑事部総括判事
- 2017年7月15日 定年退官
主な担当事件
[編集]- 熊谷男女4人殺傷事件(一審さいたま地裁裁判長 2004年11月18日)
- 元千葉ロッテマリーンズ投手強盗殺人事件(一審さいたま地裁裁判長 2005年9月29日)
- ※検察側の求刑通り無期懲役判決を下した(その後控訴するも棄却し確定)。
- 平野母子殺害事件(差し戻し二審大阪高裁裁判長 2017年3月2日)
- ※差し戻し一審の無罪の判決を支持し検察側の控訴を棄却した(上告せず確定)。
著書
[編集]共著
[編集]村山浩昭・葛野尋之 編『再審制度ってなんだ?』岩波書店、2024年1月10日。ISBN 978-4-00-271087-7。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “福崎 伸一郎 | 裁判官 | 新日本法規WEBサイト”. 新日本法規出版. 2024年6月6日閲覧。
外部リンク
[編集]“無実の罪”を生む刑事司法の構造的問題に迫る - 日本放送協会