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石榑敬一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
石榑敬一
いしぐれ けいいち
生年月日 1890年12月5日
出生地 日本の旗 日本 岐阜県岐阜市
没年月日 (1968-11-01) 1968年11月1日(77歳没)
出身校 岐阜県立農林学校卒業
前職 岐阜市主事
所属政党日本進歩党→)
無所属

選挙区 岐阜県第1区
当選回数 1回
在任期間 1942年4月30日 - 1945年12月18日

岐阜県の旗 第36代 岐阜県会副議長
在任期間 1928年12月4日 - 1931年10月15日

岐阜県の旗 岐阜県会議員

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石榑 敬一(いしぐれ けいいち、1890年12月5日[1] - 1968年11月1日[2])は、日本の政治家衆議院議員(1期)。

経歴

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岐阜県岐阜市生まれ[3]1908年岐阜県立農林学校[2]陸軍に入り、中尉まで進む[2]。その後、岐阜市主事、三里村(現・岐阜市)村長[2]、岐阜県会議員、岐阜在郷軍人連合分会長[3]、岐阜市警防団長などを歴任する[2]

1928年12月4日から1931年10月15日まで第36代岐阜県会副議長を務めた[4]

1942年の総選挙(いわゆる翼賛選挙)では、岐阜1区(当時)から立候補する。翼協の非推薦ながら在郷軍人会をバックに当選を果たす[5]。衆議院議員は1期務めた[2][注釈 1]

1955年岐阜市長選挙

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戦後の1955年の岐阜市長選挙に立候補したが、自由党推薦の松尾吾策に敗れて落選した[6][7]


※当日有権者数:-人 最終投票率:77.52%(前回比:減少 13.42pts)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
松尾吾策52無所属63,335票57.6%自由推薦
東前豊61無所属27,491票25.0%民主推薦
石榑敬一64無所属14,701票13.4%-
伊藤正三47無所属4,387票4.0%-

1968年死去。

脚注

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注釈

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  1. ^ 最終所属は日本進歩党[2]

出典

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  1. ^ 衆議院『第八十四回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1944年、17頁。
  2. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』60頁。
  3. ^ a b 翼賛議員銘鑑 50コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  4. ^ 岐阜県政五十年史 176コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  5. ^ 『朝日新聞』1942年5月3日四面。
  6. ^ 岐阜市労連三十年史 31コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  7. ^ 国民自治年鑑 1981年版 25コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

参考文献

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  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。