石川知綱
石川 知綱(いしかわ ともつな、生年不詳 - 永禄6年(1563年))は、戦国時代の武将。通称十郎左衛門。
略歴[編集]
三河国幡豆郡浅井の住人 [1]。永禄3年(1560年)の大高城兵糧入れに同行した [2]。
永禄6年(1563年)三河一向一揆では一揆側に加担した。甥(娘婿とも)の内藤正成に両膝を射抜かれ、落馬し命を落としたと言う [3]。
参考文献[編集]
- 『改正三河後風土記上巻』(金松堂、1886年、327p)
- 『通俗日本全史第9巻』(早稲田大学編輯部 、1912年、122p)
- 『参河志上巻』(参河志再版刊行会 、1933年、391p)
脚注[編集]
- ^ 金松堂 1886, p. 327.
- ^ 早稲田大学編輯部 1912, p. 122.
- ^ 参河志再版刊行会 1933, p. 391.