石井五郎

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石井 五郎(いしい ごろう、1888年 - 1951年)は、阪神電鉄副社長

来歴・人物[編集]

1904年(明治37年)東京府立第一中学校を卒業。以後、第一高等学校を経て、東京帝国大学法科大学卒業。大正元年、高文合格。近江銀行入行。1934年(昭和9年)朝日海上火災保険(現在のあいおいニッセイ同和損害保険専務取締役就任。

1935年(昭和10年)、阪神電鉄に今西与三郎が社長として就任すると、その後任専務として朝日海上火災専務取締役から阪神電鉄専務取締役に就任した。また、1936年(昭和11年)12月10日、創立となった大阪野球倶楽部監査役に就任(昭和22年まで)し、草創期の阪神タイガース設立に関わった中心の一人である。1942年(昭和17年)10月、副社長に就任、次期のトップマネージメントを担うと目されていたが、終戦後の組合闘争、労働争議の激化と共に辞任を要求され、同時期に阪神を支えてきた細野躋専務と共に、1946年(昭和21年)6月、副社長にて辞任。1951年(昭和26年)、62歳で死去。