狩野為佐

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狩野 為佐(かのう ためすけ、養和元年[1]1181年) - 弘長3年8月14日1263年9月17日))は鎌倉時代中期の武士。左衛門尉。前名は為光。父は『尊卑分脈』では狩野行光とされる。

為佐の前半生は定かではないが、文暦元年(1234年)、54歳で評定衆に任じられてからは昇進を重ねていく。嘉禎2年(1236年)に民部小丞、同3年(1237年)には従五位下に叙爵され、肥後守に任官した。また、この頃に為光から為佐へ改名している。

翌4年(1238年)に従五位上延応元年(1239年)には、大宰少弐仁治2年(1241年)に正五位下に任じられた。寛元4年(1246年)、宮騒動に連座したことで評定衆を解任されたが、建長5年(1253年)、引付衆を務める。正嘉2年(1258年)、出家して法名を蓮祐と号した。

弘長3年(1263年)8月14日、死去。享年83。

脚注[編集]

  1. ^ 死没時の年齢から逆算。

参考文献[編集]

  • 『関東評定衆伝』(「群書類従 補任部」 続群書類従完成会、1960年)