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  • 小浜藩のサムネイル
    小浜藩(おばまはん)は、若狭国一国および近江高島郡の一部、越前敦賀郡を領した藩。藩庁は小浜城。 戦国時代後期から安土桃山時代、若狭は丹羽長重、次いで浅野長政が領していた。そして関ヶ原の戦い前には、木下勝俊兄弟が入った。木下勝俊は若狭の内、遠敷郡・三方郡で6万5000石を領した。大飯郡2万石(高浜藩
    10キロバイト (1,617 語) - 2023年11月25日 (土) 22:00
  • 若狭国のサムネイル
    関ヶ原の戦いの功により京極高次が若狭一国9万石を与えられた。 寛永11年(1634年)、酒井忠勝が入封し、以後幕末まで酒井氏が続いた(小浜藩)。 花村親吉:村上義清の家臣 京極高次:若狭小浜藩初代藩主 織田信右:上野小幡藩第5代藩主 織田信美:出羽高畠藩第2代藩主、出羽天童藩初代藩主 金森頼錦 : 美濃郡上藩第2代藩主 酒井忠氏:若狭小浜藩第13代藩主…
    19キロバイト (2,950 語) - 2024年4月20日 (土) 01:00
  • 酒井忠勝 (小浜藩主)のサムネイル
    酒井 忠勝(さかい ただかつ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。武蔵川越藩の第2代藩主、後に若狭国小浜藩の初代藩主。第3代将軍・徳川家光から第4代将軍・徳川家綱時代の老中・大老。 天正15年(1587年)6月16日、徳川家康の家臣酒井忠利(後の川越藩初代藩主)の子として三河西尾(現在の愛知県西尾市)に生まれる。…
    16キロバイト (2,535 語) - 2024年4月19日 (金) 16:50
  • 小浜市のサムネイル
    小浜市(おばまし)は、福井県南西部(嶺南)に位置し、若狭湾に面する、旧若狭国の市。国府は遠敷。もと酒井氏11万石の城下町。日本海岸の要港。若狭塗・若狭めのう細工が特産。景勝地の蘇洞門がある。人口約3万人。ソフトバレーボール発祥の地。1951年(昭和26年)市制施行。…
    51キロバイト (6,531 語) - 2024年3月27日 (水) 03:13
  • 酒井氏のサムネイル
    姫路酒井伯爵家の邸宅は東京市小石川区原町にあった、伊勢崎酒井子爵家の邸宅は東京市小石川区高田老松町、酒井忠惇男爵家の邸宅は東京市世田谷区玉川奥沢町にあった。 重忠の弟の忠利は別家して取り立てられ、川越藩主、江戸城留守居・老中となる。忠利の子の酒井忠勝 (小浜藩主)は老中・大老になり、小浜藩
    48キロバイト (4,086 語) - 2023年10月29日 (日) 10:15
  • 福井県のサムネイル
    藩主として幕末まで残った。出雲松江藩主家や播磨明石藩主家、上野前橋藩主家などの大藩の藩主家は忠昌の弟達から始まる越前松平家傍流にあたり、津山松平家は忠直の息子光長に関係する傍流である。 若狭国 1600年の関ヶ原の戦いの軍功により、京極高次に若狭一国が与えられる(小浜藩)。 1634年、小浜藩
    71キロバイト (8,929 語) - 2024年4月20日 (土) 00:58
  • 安房勝山藩 (カテゴリ 勝山酒井家)
    藩主として続く。 内藤氏改易後、勝山一帯は若狭小浜藩主酒井忠勝(雅楽頭系酒井家)の所領となる。忠勝の長男忠朝は若年寄まで務め、将来を嘱望された人物であったが、廃嫡の処分を受け、酒井家所領の市部村(現・南房総市市部)に蟄居して、この地で没している。 寛文8年(1668年)、小浜藩主酒井忠
    12キロバイト (1,734 語) - 2024年4月14日 (日) 09:57
  • 小浜城 (若狭国)のサムネイル
    小浜簡易裁判所 雲浜保育園 [脚注の使い方] ^ “小浜城跡”. 福井県. 2013年4月2日閲覧。 ^ 1878年7月、遠敷郡役所が小浜に設置。(「角川日本地名大辞典 18 福井県」・遠敷郡教育会編纂「若狭遠敷郡誌」) 小浜藩 小浜神社の九本ダモ ウィキメディア・コモンズには、小浜城 (若狭国)に関連するカテゴリがあります。…
    6キロバイト (744 語) - 2023年12月1日 (金) 10:51
  • 敦賀市のサムネイル
    1600年 結城秀康が越前を領し、京極高次が若狭国を領する。 1623年 結城家が越後へ国替えとなる。 1624年 京極忠高が若狭国に加え越前敦賀郡を与えられ、小浜藩の知行地が確定する。 1634年 京極家が国替えとなり、酒井忠勝小浜藩主若狭国および越前敦賀郡)となった。 1639年…
    73キロバイト (9,448 語) - 2024年4月23日 (火) 10:43
  • 酒井 忠朝(さかい ただとも)は、江戸時代前期の小浜酒井家の世嗣。若年寄。官位は従五位下・備後守。 若狭国小浜藩初代藩主酒井忠勝の長男として誕生した。母は松平親能の娘。幼名は隼人。 寛永8年(1631年)に元服。寛永12年(1635年)小姓組番頭を皮切りに、奏者番、若年寄などを歴任した。大老をも…
    5キロバイト (515 語) - 2024年4月27日 (土) 04:35
  • 川越藩 (カテゴリ 小浜酒井家)
    深谷藩5万石の領主で忠利の嫡男・忠勝が8万石で入封した。忠勝は老中として家光をよく補佐し、寛永9年(1632年)2万石の加増を受け、石高は10万石となった。忠勝は時の鐘建立など城下の整備を進めた。寛永11年(1634年)、忠勝は11万3千石で若狭国小浜藩に移封され、
    21キロバイト (3,499 語) - 2024年3月15日 (金) 08:41
  • 熊川宿のサムネイル
    姉川の戦いのおりに徳川家康が滞在した寺で、「家康腰かけの松」が残る。 御蔵道 白石神社 - 祭神は、彦火々出見尊、白鬚明神、小浜藩主酒井忠勝、および山の神。旧村社。 覚成寺 菱屋(勢馬清兵衛家) 長屋道 旧逸見勘兵衛家住宅 - 主屋・土蔵・庭が若狭町指定文化財(1995年指定)、伊藤忠商事2代目社長・伊藤竹之助の生家。 中条橋 - 夜間ライトアップされる。…
    6キロバイト (819 語) - 2023年11月27日 (月) 22:24
  • 空印寺のサムネイル
    空印寺 (カテゴリ 小浜藩)
    その後小浜藩主酒井家の菩提寺として、酒井忠勝により父酒井忠利の霊骨を移して建康寺と称され、2代藩主酒井忠直が酒井忠勝の七回忌法要を執り行うに当たり寛文8年(1688年)伽藍を増築し、空印寺となった。空印は忠勝の法号である。 市指定文化財 薬医門 紙本著色神明神社社頭風俗図 市指定史跡 酒井家墓所…
    7キロバイト (984 語) - 2023年11月30日 (木) 00:30
  • 脇坂安政 (カテゴリ 信濃飯田藩主)
    思われ、直接行動に出た。天和2年(1682年)、安村は譜代である近江彦根藩主・井伊直興に直談判に出たが、面会を拒否され、続いて上野天真法親王に直訴した。しかしこれは裏目に出て、これを聞いた幕府は激怒し、安村の身柄を小浜藩主酒井忠隆に預け、19年余り幽閉された。…
    7キロバイト (1,009 語) - 2021年10月24日 (日) 20:09
  • 讃岐国のサムネイル
    松平頼胤:10代藩主 松平頼聰:11代藩主 若狭小浜藩酒井酒井忠勝:初代藩主大老 酒井忠音:5代藩主・老中 酒井忠用:7代藩主 酒井忠進:10代藩主・老中 陸奥相馬中村藩相馬家 相馬尊胤:第7代藩主 相馬恕胤:第8代藩主 相馬祥胤:第9代藩主 相馬樹胤:第10代藩主 その他 板倉昌信:備中庭瀬藩第2代藩主
    26キロバイト (4,266 語) - 2024年2月8日 (木) 21:03
  • 松江藩のサムネイル
    松江藩 (カテゴリ 出雲の藩)
    加増の話は立ち消えとなった。 結局、堀尾家に代わって寛永11年(1634年)、若狭小浜藩より京極忠高が入部した。京極家は戦国時代に守護代の尼子家に支配権を奪われる以前の出雲守護であり、故地に復帰したことになる。24万石の領地に加え、公儀御料の石見銀山、石見
    11キロバイト (1,733 語) - 2024年1月5日 (金) 06:25
  • 国主 (持大名からのリダイレクト)
    の範囲が狭少であることから壱岐一国一円知行の松浦肥前守(平戸藩)、桃山時代に域が狭少になった志摩一国一円知行の九鬼氏・稲垣氏(鳥羽藩)はそれぞれ国主・持とはされない。小浜藩酒井氏)は若狭一国および越前敦賀郡を領するも本家である姫路藩酒井氏との釣り合いから持とはされない(ただし酒井忠勝
    15キロバイト (1,192 語) - 2024年3月4日 (月) 10:57
  • 1587年(天正15年6月16日) - 酒井忠勝若狭国小浜藩初代藩主(+ 1662年) 1618年(元和4年5月29日) - 林鵞峰、儒学者(+ 1680年) 1620年 - ジャン・ピカール、天文学者(+ 1682年) 1625年(寛永2年6月17日) - 前田利意、上野七日市藩2代藩主(+ 1685年) 1631年(寛永8年6月22日)…
    49キロバイト (4,808 語) - 2024年4月20日 (土) 09:33
  • 太字は当主、実線は実子、点線は養子/婿養子。数字は麻田藩主継承順。 ^ 小寺則頼の子。母は重直の娘。 ^ 若狭小浜藩主酒井忠勝三男。 ^ 駿府藩家老・朝倉宣親長男。 ^ 伊予宇和島藩主・伊達村年三男。 ^ 豊前中津藩主・奥平昌高十二男。 ^ 常陸松岡藩主・中山信徴四男。…
    11キロバイト (660 語) - 2024年4月5日 (金) 10:44
  • げ研ぎをした後、胴を摺り仕上げ、最後に黒色系の生漆を用い上塗りを行う。 若狭塗は、江戸時代初期寛永年間に、小浜の豪商組屋六郎佐衛門が、国外より入手した漆塗盆を藩主酒井忠勝公に献上し、小浜藩の漆塗職人・松浦三十郎(与兵衛)が、小浜湾の海底を模様化をした図案化し、中国の漆器作りを基に「菊塵塗(きくじんぬ…
    4キロバイト (644 語) - 2023年12月1日 (金) 09:40
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