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  • 左衛門(だんざえもん)は、江戸時代の被差別民であった穢多・非人身分の頭領。穢多頭(えたがしら)。江戸幕府から関八州(水戸藩、喜連川藩、日光神領などを除く)・伊豆全域、及び甲斐都留・駿河駿東・陸奥白川・三河設楽の一部の被差別民を統轄する権限を与えられ、触頭と称して全国の穢多非人に号令を下す権…
    12キロバイト (1,791 語) - 2023年11月21日 (火) 20:50
  • 取水口:松本市大字島立字荒井 補助取水口:安曇野市豊科高家字飯田 延長:約10km 灌漑面積:約323.9ha 1662年(寛文2年)2月 - 安曇成相組の代官・二木勘左衛門により着手された。当時は、梓川から揚水していた。 1685年(貞享2年)3月 - 飯田村から下鳥羽村にかけて、開削が着手された。 1685年(貞享2年)5月…
    3キロバイト (438 語) - 2024年5月6日 (月) 01:48
  • 左衛門(宗左衞門、やながわ そうざえもん、1895年〈明治28年〉7月21日 - 1978年〈昭和53年〉11月8日)は常陸国、鹿島の日川砂漠を開拓した柳川宗左衛門秀勝の孫(四代目)。明治末から昭和期の地主であり、醤油醸造家、実業家、政治家。衆議院議員(1期)、参議院議員(1期)。 茨城県鹿島
    9キロバイト (1,177 語) - 2024年3月2日 (土) 02:26
  • 紀伊國屋文左衛門のサムネイル
    保19年に死去したとされる。享年66。紀伊國屋は2代目文左衛門が継いだが、凡庸であったために衰退してしまった。 二男は宝永2年、保土ヶ谷宿本陣6代苅部清兵衛の入り婿になり、持参金で苅部家の借財を返済した。 八丁堀に広大な邸を構え、奈良屋茂左衛門勝豊との吉原における豪遊の逸話が伝わっている。巨利を築く伝説は河村瑞賢とも融合している。…
    10キロバイト (1,424 語) - 2024年3月18日 (月) 16:43
  • 衛門、梶清次衛門、鳥居瀬兵衛、大久保甚五左衛門、山中新左衛門、岡田新太郎、美濃部又五郎、三浦贇男、林五郎三郎、林忠左衛門、大胡聿蔵、下野隼次郎、矢野長九郎、住谷寅之介、川瀬教徳(七郎衛門)、石河徳五郎、竹垣直温(三右衛門
    35キロバイト (5,044 語) - 2023年11月14日 (火) 13:06
  • 庄内藩 (カテゴリ 酒井左衛門尉家)
    左沢藩(あてらざわはん)は江戸時代初期に出羽国村山郡左沢(山形県西村山大江町)付近を領有した藩で、庄内藩の支藩ではないが庄内藩主酒井忠勝の弟・直次が封じられたことからここに記す。 元和8年(1622年)、山形の最上氏の改易によって、庄内藩成立と同時に酒井忠勝の弟・直次が村山郡左
    38キロバイト (5,828 語) - 2024年2月5日 (月) 12:50
  • 五代  宗入(寛文4年(1664年)-享保元年(1716年)) 雁金屋三右衛門(尾形光琳・乾山兄弟の父・宗謙の弟)の子、四代の婿養子。名「平四郎」後「惣吉」。28歳の時「吉左衛門」襲名。いっそう長次郎回帰を進める。 六代  左入(貞享2年(1685年)-元文4年(1739年))…
    10キロバイト (1,639 語) - 2024年5月30日 (木) 01:00
  • 北足立郡のサムネイル
    衛門新田、彦右衛門新田(現・草加市) 草加町 ← 南草加村、北草加村、谷古宇村、宿篠葉村、吉笹原村、東立野村、原島村、弥惣右衛門新田、庄左衛門新田、太郎左衛門新田、与左衛門新田(現・草加市) 新田村 ← 九左衛門新田、長右衛門新田、篠葉村、東中曽根村、新兵衛新田、清右衛門新田、金右衛門新田、槐戸村、善兵衛新田(現・草加市)…
    63キロバイト (4,616 語) - 2023年12月25日 (月) 04:41
  • 杉木茂左衛門のサムネイル
    沼田領主真田伊賀守の菲政と農民愁訴」で青柳源右衛門(伊勢町名主)・六郎兵衛父子、狩野新左衛門(中之条町名主)らが領民に迫られて真田信利に訴え出たところ、入牢、闕所となったとする。 田村栄太郎は「沼田領階級闘争史略」では利根政所村の松井市兵衛も茂左衛門と同時期に出訴し、天和元年(1681年)12月…
    36キロバイト (5,694 語) - 2024年6月4日 (火) 20:54
  • 森村市左衛門のサムネイル
    左衛門(もりむら いちざえもん)は、武具商・陶磁器業などを営んだ森村家の歴代当主が襲名した名前。特に、森村財閥の創設者である6代目・市左衛門(天保10年10月27日〈1839年12月2日〉- 大正8年〈1919年〉9月11日)が有名である。以下では、この6代を中心に説明する。 初代・市左衛門
    17キロバイト (2,696 語) - 2024年6月11日 (火) 02:26
  • 左衛門新田、長蔵新田(現長蔵)をはじめ、川口市と隣接する草加市内には清右衛門新田(現清門)、善兵衛新田(現新善町)、長右衛門新田(現長栄)、金右衛門新田(金明町)、新兵衛新田(現新栄)、九左衛門新田(現旭町)、越谷市には七左衛門(現七左町)などが存在した。 町村制施行前は、北足立左衛門新田だった。…
    5キロバイト (476 語) - 2024年3月31日 (日) 16:53
  • もとは江戸期より存在した足立郡に属する新田村名の源左衛門新田であった。古くは大塚村と称されていたが、1625年(寛永2年)に源左衛門という人物が荒廃していた当地を開発した。村名はその開発者の名前に因む。 はじめは幕府領で、後の寛永年間頃に知行は関東代伊奈氏となる。 1792年(寛政4年)より伊奈氏が失脚となり、再び幕府領となる。…
    6キロバイト (586 語) - 2024年4月1日 (月) 10:42
  • 古屋佐久左衛門のサムネイル
    古屋 佐久左衛門(ふるや さくざえもん)は、江戸時代末期(幕末)の幕臣、兵学者。旧名は高松勝次、諱は智珍。実弟に高松凌雲がいる。箱館戦争で負傷し37歳で死去。 天保4年(1833年)、筑後国御原古飯村(現・福岡県小郡市)の庄屋の次男として生まれる。 百姓を嫌い、嘉永4年(1851年)、19歳の時…
    10キロバイト (1,531 語) - 2022年4月6日 (水) 04:45
  • 池田輝政のサムネイル
    池田輝政 (池田三左衛門からのリダイレクト)
    たいので、(その代わりに)輝政には私の娘(督姫)を嫁がせる」と頼んだため、秀吉が受け入れたという。 通称の三左衛門は、姫路城の三左衛門堀(外堀川)、姫路市内の町名に三左衛門堀東の町・三左衛門堀西の町として名残がある。なお、名前は「輝政」で知られているが、これは彼が慶長12年(1607年)頃と晩年に…
    27キロバイト (3,753 語) - 2024年5月11日 (土) 02:15
  • 榊原平右衛門 文官 台所口  鳥居利右衛門正次 用人 座敷庭 宝蔵院流の槍術で赤穂義士を翻弄したという。吉良とともに小屋の中にいた3人の一人(『大熊弥一右衛門見聞書』) 斎藤清左衛門 小姓 同 本翁元来信士(万昌院) 負傷のち死亡 大河内六郎左衛門 剣室宗寒信士(万昌院) 浅野内匠頭長矩…
    59キロバイト (6,398 語) - 2024年4月23日 (火) 04:41
  • 甲斐国志 (松村弾正左衛門からのリダイレクト)
    文化2年に滝川の異動により事業は後任の松平定能によって引き継がれ、定能の家臣らが編纂員に加わる。国中三では編集主任である巨摩西花輪村(中央市西花輪)の長百姓である内藤清右衛門(字は禹昌、号は花渓)を中心に、補佐として同郡上小河原村(甲府市上小川原町)の松村弾正左衛門(諱は「善政」)が加わり、松平定能の役宅を編纂所とした。森嶋、内藤…
    18キロバイト (3,226 語) - 2024年1月6日 (土) 02:57
  • 中野(中埜) 又左衛門(なかの またざえもん)は、尾張国半田(現在の愛知県半田市)の醸造家で、ミツカングループの創業家・経営者である中野又左衛門家の当主が受け継ぐ名。 1804年(文化元年)に同家を興した初代中野又左衛門によって酢の醸造がはじめられた。明治期の4代目より苗字の表記が中埜に、そして7代…
    7キロバイト (997 語) - 2023年12月1日 (金) 14:18
  • 吉田兼亮のサムネイル
    吉田兼亮 (吉田忠左衛門からのリダイレクト)
    境内に墓があるが、宝永元年(1704年)綿屋善右衛門という商人が建てた、遺骸の埋葬を伴わない供養塔である(同5年(1708年)の宝永の大火で焼失した。現在ある供養碑は新たに再建されたもの)。 四男の吉田伝内兼直は連座による流刑先の伊豆大島では、伊豆代官手代の小長谷勘左衛門
    9キロバイト (1,417 語) - 2024年5月31日 (金) 08:52
  • 花畑村 (カテゴリ 南足立)
    花畑村を構成した花又村に由来。 1889年(明治22年)5月1日 - 市制町村制の施行により花又村、久左衛門新田、長左衛門新田、六ツ木村、嘉兵衛新田、久右衛門新田、辰沼新田、内匠新田の8か村を合併統合し花畑村が発足。 1891年(明治24年)4月1日 - 飛地を渕江村に編入 1931年(昭和6年)…
    4キロバイト (235 語) - 2022年3月31日 (木) 05:36
  • 丸山権太左衛門のサムネイル
    丸山 権太左衛門(まるやま ごんだざえもん(ごんたざえもん)、1713年(正徳3年)- 1749年12月23日(寛延2年11月14日))は、仙台藩・陸奥国領出身で七ツ森部屋に所属した大相撲力士。第3代横綱。本名は芳賀 銀太夫(はが ぎんだゆう)。 陸奥国遠田
    5キロバイト (731 語) - 2024年3月21日 (木) 07:57
  • 一、慶長六年丑、四十七歳、二月七日、政宗一万五千にて打出で、福島の城主本庄出羽介・幼□ 甚左衛門・小田切所左衛門馳せ向ひ、伊達方郡左衛門・伊達上野介と戦ひ切崩し、四百計り、政宗方へ討取り、政宗方には、石川大和守・片倉小十郎、上杉方を追立つる。其後、日々夜々合戦迫
  • [ɕika̠no̞mʲina̠ɾa̠zɨᵝ] しかのみならず【加之・然のみならず】 それだけでなく。さらにその上。 われ幼少の頃より茶道を好み、実父孫左衛門殿より手ほどきを受け、この道を伝授せらるる事数年に及び申候えども、悲しい哉、わが性鈍にしてその真趣を究むる能わず、しかのみならず、わが一挙手一投足
  • ・ - 。 語注 ・伊賀平内左衛門家長(いがの へいないざえもん いえなが) - 平家長(たいらの いえなが)。 ・鎧(よろひ)二領(にりやう)着せ奉り・・・ - 入水の際、海中で浮かび上がらないようにするため。 ・竜田川 - 奈良県 生駒(いこまぐん) を流れる川。歌枕として有名。
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