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このウィキでページ「王天行」は見つかりませんでした。以下の検索結果も参照してください。
- 神道天行居(しんどうてんこうきょ)は、友清歓真(ともきよ よしさね)によって創始された古神道系の新宗教団体。秘密結社に分類される事もある。本部は、山口県熊毛郡田布施町の石城山の麓。現在でもユダヤ陰謀論を信じ、「霊的国防」を唱えている。 他宗教でいう信者を同志、教師を道士と呼ぶ。 神道天行居の先達は主に友清歓真(ともきよ…9キロバイト (1,514 語) - 2023年7月2日 (日) 12:30
- 四王天 延孝(しおうでん のぶたか、1879年〈明治12年〉9月2日 - 1962年〈昭和37年〉8月8日)は、日本の陸軍軍人、政治家。ユダヤ陰謀論を唱え『シオン賢者の議定書』の邦訳などを行なった。最終階級は陸軍中将。衆議院議員。旧姓・西村。 前橋藩士・西村茂兵衛の弟として生まれ、川越藩士[要出典]…11キロバイト (1,386 語) - 2024年7月3日 (水) 10:35
- くことにより、大自然のリズムと調和し、人間の意識を超越した「行」となり、いつしか人間本来のよろこびを毎日の生活の中で味わうことができるのだ、と説明。 法唱(七観行・般若天行を唱えること) 法筆(般若天行を写経すること) 法座 人間完成 天納金(信者から集めた金銭) 生態哲学博士(教祖が「学位」と称するもの)…16キロバイト (2,630 語) - 2024年5月19日 (日) 05:38
- 天行居や神仙道本部といった古神道系の宗教団体を経て、古神道仙法教を立教した。 大阪府堺市に本庁を置いている。また、九州や北陸に教会を、滋賀や東京に祭祀所を設置している。 正井頎益は、神道天行居の幹部(地方教会教会長)を務めていたが、戦後になって教団を離れ、同じく神道天行…3キロバイト (498 語) - 2023年5月29日 (月) 12:47
- 王 天培(おう てんばい)は、中華民国の軍人。黔軍(貴州軍)の軍人で、後に国民政府(国民革命軍)の軍指揮官をつとめた。旧名は倫忠。字は植之。トン族(侗族)。弟に同じく黔軍や国民革命軍の軍人であった王天錫がいる。 父は緑営の都司だったが、後に造林業を営んだ。王天…10キロバイト (1,600 語) - 2022年6月29日 (水) 05:51
- 列伝第七上 景穆十二王上 陽平王新成・京兆王子推・済陰王小新成・汝陰王天賜・楽浪王万寿・広平王洛侯 列伝第七中 景穆十二王中 任城王雲(任城王澄) 列伝第七下 景穆十二王下 南安王楨(中山王英)・城陽王長寿・章武王太洛・楽陵王胡児・安定王休 列伝第八 文成五王 安楽王長楽・広川王略・斉郡王簡・河間王若・安豊王猛…24キロバイト (3,400 語) - 2024年6月5日 (水) 02:34
- 辯天宗は1934年(昭和9年)に奈良県宇智郡野原村(現五條市)の十輪寺の住職である大森智祥の妻であった大森智辯(智辯尊女とも。本名・大森清子、旧姓吉井)が大辯才天女尊より天啓を受け、それにより信者や訪問者への相談や、行(ぎょう)を行…11キロバイト (1,771 語) - 2024年4月5日 (金) 16:29
- 李(1996)、206-207頁。 ^ 李(1996)、207-208頁。 ^ 李(1996)、208-209頁。 ^ 王天培は実際には勇戦しており、世論はむしろ蔣介石の責任転嫁であると糾弾している。詳細は王天培記事参照。 ^ 李(1996)、209-210頁。 ^ 李(1996)、210-211頁。 ^ 李(1996)、211-212頁。…23キロバイト (3,078 語) - 2024年6月27日 (木) 02:48
- 天尊と燃燈道人に持ちかける。その後人間の肉体を借りて王奕と名乗り、元始天尊の弟子となる。元始天尊によって魂魄を二つに割られ、片方は死亡した赤子に入れられ太公望となり、残りは王奕として金鰲列島に送られ王天君になった。 太公望と王天君が融合して伏儀に戻ってからは、太公望に王天…151キロバイト (24,917 語) - 2024年7月5日 (金) 04:26
- 毘沙門天 (カテゴリ 天部)王天(英語版)に生まれ変わった。 他の天部と同様に、ヴェッサヴァナは永久的な存在ではなく、終身的な役職として捉えるのが適当である。ヴェッサヴァナは定命であり、死んだ場合は他のヴェッサヴァナが後任を務める。他の四天王天に住まう天…35キロバイト (4,891 語) - 2024年6月9日 (日) 06:43
- 王天神堂が創建され、これが現在の八坂神社となり、祇園御霊会が祇園祭となった。 北野天満宮の「北野御霊会」は応仁の乱以降途絶えていたが、2021年には新型コロナウイルス感染症の終息を願い、北野天満宮の神職と比叡山延暦寺の僧侶により行われた。…35キロバイト (5,751 語) - 2024年6月29日 (土) 00:01
- AKABOSHI -異聞水滸伝- (替天行道の節)蔣敬(しょうけい)/神算子(しんざんし) 替天行道のメンバー。戴宗の起こす騒動に日々頭を悩ませている。算盤をよくいじっている。 王定六(おうていろく)/稲妻(いなずま) 替天行道のメンバー。無邪気で活発な少年。戴宗に憧れている。 稲妻11人蹴り(イナヅマイレブン)…29キロバイト (5,387 語) - 2024年3月27日 (水) 00:26
- 2009年、学校創立記念100週年式典を挙行。 所在地 甘粛省蘭州市城関区 校訓 「自強不息、獨樹一幟」。校訓は周易の「乾卦」に見える「天行健、君子以自強不息」の名句に由来する;清代袁枚の随園詩話の「卷六」に見える「欧公学韓文、而所作文全不似韓、此八家中所以獨樹一幟也」の名句に由来する。…10キロバイト (1,187 語) - 2024年5月16日 (木) 04:46
- れた11人の飛行教官は、劉超(東北航校)、高志航(東北航校)、李俊徳(航空班)、王天祥(航空班)、陳嘉尚(航空班)、陳棲霞(雲南航校1期)、胡家枚(米留学)、崔滄石(保定航校)、石友信(ソ連留学)、徐縉琠(日本留学)、王叔銘(広東航校1期、ソ連留学)であった。…41キロバイト (4,159 語) - 2023年9月4日 (月) 04:52
- 中国の民俗宗教と道教における女神であり、仏教の摩利支天が道教化された神とも言われている。司命の神で大梵天に住んで、日・月・星辰を統治し、北斗衆星の母ともいわれる。あらゆる障難を除き、利益を賦与する職能でもある。周御国王斗父天尊(先天盤古周御国王天尊・斗父龍漢盤古祖劫周御国王天尊とも)に対応する。…19キロバイト (2,938 語) - 2023年12月19日 (火) 09:55
- ウ・ウェープッラ、戸田忠=訳註『アビダンマッタサンガハ [新装版]』、中山書房仏書林、p.125 ^ 「堕処の阿修羅(…)地神(…)2神とも四大王天に属する天衆である」(ウ・ウェープッラ、戸田忠=訳註『アビダンマッタサンガハ [新装版]』、中山書房仏書林、pp.133-134) ^…26キロバイト (3,379 語) - 2024年3月16日 (土) 03:46
- 天為三月甲寅即格里暦3月15日,魯襄公六年三月乙未即格里暦2月19日,三月丁未即3月3日,十一月没有丙辰,十二月丙辰即11月7日 ^ 《史記・斉太公世家》於是武王已平商而王天下,封師尚父於齊營丘。東就國,道宿行遲。逆旅之人曰:「吾聞時難得而易失。客寝甚安,殆非就國者也」。太公聞之,夜衣而行…4キロバイト (551 語) - 2023年9月29日 (金) 15:29
- らしまわった白狼匪は、その中でも最大かつ凶悪なものの一つであった。また、巨大な武装集団の中には、政府軍として公認・再編されて軍閥となったものもあり、王天縦・張作霖・馮麟閣らも、もとはこうした「匪賊」を出自とする。臨城事件の孫美瑶は政府に公認されなかった例である。…13キロバイト (2,245 語) - 2024年4月20日 (土) 06:55
- 黒住教 金光教 丸山教 御嶽教 実行教 扶桑教 天学教 禊教 神道禊教 神習教 神道修成派 神道大成教 神道大教 出雲大社教 神理教 大本(大本教) 愛善苑 大本信徒連合会 日本心霊科学協会 三五教(あなないきょう) 神道天行居 生長の家系 生長の家 白光真宏会 世界救世教系 世界救世教…32キロバイト (4,584 語) - 2024年5月26日 (日) 09:32
- と読むのは音読みであり、「方」を「モ」と読むのは訓読みである。一般的には、地名を「しほうでん」と読み、人名を「よもだ」と読む。 四王天と同じ。明智氏家臣の四王天氏(四王天政孝など)、川越藩に存す。 [脚注の使い方] ^ 現在の埼玉県本庄市大字四方田(しほうでん)。 ^ 最終的には本庄氏も後北条氏の家臣となる。…5キロバイト (769 語) - 2022年4月28日 (木) 00:02
- 天樂。故曰:知天樂者,其生也天行,其死也物化。靜而與陰同德,動而與陽同波。故知天樂者,无天怨,无人非,无物累,无鬼責。故曰:其動也天,其靜也地,一心定而王天下;其鬼不祟,其魂不疲,一心定而萬物服。言以虛靜推於天地,通於萬物,此之謂天樂。天樂者,聖人之心,以畜天下也。」
- 其知所以为天下乎!夏、殷、周之衰也,诸侯作而战伐日行矣.传数十王而天下不倾者,纪纲存焉耳.秦之王天下也,无分势于诸侯,聚兵而焚之,传二世而天下倾者,纪纲亡焉耳.是故四支虽无故,不足恃也,脉而已矣;四海虽无事,不足矜也,纪纲而已矣.忧其所可恃,惧其所可矜,善医善计者,谓之天扶与之.《易》曰:“视履考祥.”善医善计者为之
- 日本神話の主神、皇祖神。多く称号を伴い、天照大神(あまてらすおおみかみ)、天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)などと呼ぶ。 豐葦原の千五百秋の瑞穂の国はこれ吾が子孫の王となるべき地なり。宜しく爾皇孫、就でまして治(しろしめ)せ。 さきくませ。宝祚の隆えまさむこと、当に天壌(あめつち)と窮り無けむ。 豐葦原千五百秋之瑞穂國是吾子孫可王
- 厭、謂之荒、樂酒無厭、謂之亡。先王無流連之樂、荒亡之行。惟君所行也。景公說、大戒於國、出舎於郊。於是始興發補不足、召大師曰、『爲我作君臣相說之樂』。蓋徴招角招是也。其詩曰、『畜君何尤』。畜君者好君也」。 【訓読文】 斉の宣王、孟子を雪宮に見る。王曰(いは)く、「賢者も亦(また)此(こ)の楽しみ有るか」と。