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  • 崇神天皇のサムネイル
    崇神天皇 (カテゴリ 古墳時代以前天皇)
    姫を皇后とし、活目尊(後の垂仁天皇)や倭彦命らを得た。即位5年から7年にかけて疫病が流行したが、大物主神など神々を祀ることで治めた。即位10年、武埴安彦(たけはにやすびこ、孝元天皇皇子)反乱を鎮め、四道将軍を各地に派遣した。即位12年に戸口を調査して初めて課役を科したことで御肇国天皇と称えられ…
    32キロバイト (5,832 語) - 2024年4月28日 (日) 06:13
  • 御間城姫 (カテゴリ 日本歴史関連スタブ項目)
    御間城姫(みまきひめ、生没年不詳)は、崇神天皇皇后。『古事記』には御真津比売(みまつひめ)とある。父は大彦命。垂仁天皇母。 父大彦命は、崇神天皇父開化天皇兄(孝元天皇第一皇子)なので(実際、『古事記』(武埴安彦の乱条)では、崇神天皇は大彦命を伯父と呼んでいる)、夫・崇神天皇と従兄妹である。 「御間城姫」と崇神天皇
    2キロバイト (190 語) - 2024年2月16日 (金) 20:31
  • 奈良 (カテゴリ 近畿地方歴史)
    されているのは、2番目の柳田國男による説である。 『日本書紀』による説 武埴安彦反乱鎮圧に向かった大彦命ら軍勢が当地にあった丘(平城山丘陵)草木を踏みならしたという『日本書紀』記録に由来する。崇神天皇十年九月条には次ようにある。「則ち精兵(ときいくさ)を率(ゐ)て、進みて那羅山に登りて軍…
    17キロバイト (2,415 語) - 2024年2月13日 (火) 08:55
  • 長髄彦に率いられて戦った賊軍で後に帰順したが、饒速日命を祖とする物部氏で、サムライを表す「もののふ」言葉語源となった氏族であるが、元々は賊軍帰順者末裔である。 名草戸畔 - 女賊 丹敷戸畔 - 女賊 兄猾 兄磯城 磯城八十梟帥 新城戸畔 - 女賊 居勢祝 猪祝 土蜘蛛 赤銅八十梟帥 手研耳命 武埴安彦命 出雲振根…
    16キロバイト (2,683 語) - 2023年12月19日 (火) 04:18
  • 478年 : 倭王(雄略天皇)が上表文で高句麗と戦争意思を表明(わおうぶ) 神武東征(じんむとうせい 主に近畿地方) 健磐龍命阿蘇派遣(たけいわたつ 肥後国阿蘇地方)九州中部占領 神渟名川耳尊と手研耳命皇位継承争い(かむぬなかわみみ、たぎしみみ 大和国) 武埴安彦の乱(たけはにやすひこ 大和国、山城国)…
    98キロバイト (14,137 語) - 2024年2月13日 (火) 09:38
  • 巴御前のサムネイル
    巴御前 (カテゴリ 治承・寿永の乱人物)
    また神話においては神功皇后、崇神天皇御代に反乱を起こした武埴安彦命とその妻・吾田媛、日本東征に同行した弟橘媛など、女性が合戦に参加することは決して珍しいことではない。巴御前場合も『源平盛衰記』では「額ニ天冠ヲ当テ」と描写されるなど、多分に宗教性を帯びた存在であると指摘もある。また『源平盛衰記』では巴は義仲
    20キロバイト (3,082 語) - 2024年3月9日 (土) 07:07
  • 倭国大乱 (カテゴリ 言葉を濁した記述ある記事 (誰)/2010年以前)
    卑弥呼を日本書紀に箸墓古墳被葬者として伝わる倭迹迹日百襲姫命と同一視する立場から、記紀における百襲姫存命中に起きた戦乱として武埴安彦の反乱や渟川別による出雲振根誅殺、吉備津彦命による温羅討滅を倭国大乱あるいはその一部出来事に比定する説が存在する。 他に出雲国譲り神話や神武東征伝承に比定する説もある。 中国
    14キロバイト (2,382 語) - 2024年3月26日 (火) 09:49
  • 両面宿儺 (カテゴリ 日本伝説人物)
    崇神天皇時代に反乱を起こし、四道将軍五十狭芹彦によって討滅されたと言われる吉備地方反乱指導者。 武埴安彦 - 同じく崇神天皇時代に反乱を起こしたとされ、倭迹迹日百襲姫ら活躍によって平定された。 出雲振根 - 同じく崇神天皇時代に反乱を起こしたとされる。『魏志倭人伝』に記載される倭国大乱と関連を唱える説がある。…
    15キロバイト (2,613 語) - 2024年2月29日 (木) 14:24
  • 押媛命……孝安天皇皇后。 細媛命……孝霊天皇皇后。 倭国香媛命……孝霊天皇妃。 絙某弟……孝霊天皇妃。 春日千千速真若比売命……孝霊天皇妃。 欝色謎命……孝元天皇皇后。 埴安媛命……孝元天皇妃。 伊香色謎命……開化天皇皇后。孝元天皇妃。 竹野媛命……開化天皇妃。 姥津媛命……開化天皇妃。 鷹津媛命……開化天皇妃。 御間城姫命……崇神天皇皇后。…
    42キロバイト (6,297 語) - 2024年4月20日 (土) 02:18
  • 隼人 (カテゴリ 出典ページ番号が要望されている記事)
    特に山城国(京都府)南部に多く定住し、大隅隼人住んだ現在京都府京田辺市には「大住(おおすみ)」地名が残る。中世には「隼人荘」と呼ばれるなど、奈良盆地南部と共に近畿における隼人二大居住地であり、武埴安彦伝承に基本的に反映しているものとされる。 山川門など境界祭祀を司るとみられる境部(境合部)氏
    45キロバイト (6,954 語) - 2024年2月9日 (金) 03:13
  • 大日本史のサムネイル
    大日本史 (カテゴリ 1900年代書籍)
    彦太忍信命 武埴安彦命 開化三子 彦湯産隅命 彦坐王 建豊波豆羅和気命 崇神六子 彦五十狭茅命 倭彦命 五十日鶴彦命 豊城入彦命 子八綱田 孫彦狭島王 大入杵命 八坂入彦命 垂仁十一子 誉津別命 五十瓊敷入彦命 大中津日子命 稚城瓊入彦命 鐸石別命 池速別命 祖別命 五十日足彦命 膽別命 磐衝別命…
    92キロバイト (13,441 語) - 2024年4月24日 (水) 09:35
  • 渟川別(たけぬなかはわけ)命を東海(とうかい)に、吉備津彦命を西道(さいだう)に、丹波(たには)道主(みちぬし)命を丹波(たんば)に遣す。ともに印綬(いんじゆ)を給(たまひ)て将軍とす〈将軍名はじめてみゆ〉。天皇叔父(しゆくふ)武埴安彦(たけはにやすひこ)