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  • 帯刀との間で揺れ動いた末に非情の魔王ビルゴルディと成り果てて無邪気さを失った帯刀への失望を叫んで反逆。マヤの光線銃とビルゴルディのデュアルレーザーで致命傷を負った後、ジャンパーソンとガンギブソンに看取られながら息を引き取る。 マヤ 同じく帯刀の秘書。帯刀
    139キロバイト (18,318 語) - 2024年2月11日 (日) 14:29
  • 大政奉還のサムネイル
    し、長州藩とともに武力倒幕路線に傾斜していき戦争に負ける形で倒れた、5月21日、土佐藩士・乾退助、谷干城らが、中岡慎太郎の仲介により薩摩藩家老・小松帯刀の京都の寓居(御花畑屋敷)において、同藩士・西郷隆盛、吉井幸輔らと薩土討幕の密約を結ぶ。 これに対抗して大政奉還論を推進するべきと考えたのが土佐藩参…
    24キロバイト (3,960 語) - 2024年5月15日 (水) 09:18
  • 平三郎)、利重剛(柿谷一馬)、渡辺哲(上村武右衛門)、西村淳二(上村弥兵衛) 第6話「合わせて一つ」伊藤美奈子(妙) 第7話「人形妻」近藤洋介(下坂帯刀)、中村栄美子(つる)、白鳥哲(立花又四郎)、平崎晶子(志津)、岩城菜里(美代) 第8話「走る男」渡辺いっけい(力石勝八郎)、長門勇(山水堂 仙兵衛)、楠トシエ(のぶ)、戸川京子(まち)…
    8キロバイト (1,059 語) - 2023年11月15日 (水) 05:30
  • 賀美郡のサムネイル
    石神村、忍保村、八町河原村 賀美村 ← 勅使河原村、金久保村、黛村、毘沙吐村 七本木村 ← 七本木村、嘉美村、堤村、三町村 長幡村 ← 藤木戸村、帯刀村、五明村、長浜村、大御堂村 荘村 ← 植竹村、元阿保村、原新田村、八日市村、関口村、肥土村、貫井村、小浜村、四軒在家村および児玉郡熊野堂村(現・児玉郡神川町) 1896年(明治29年)4月1日…
    5キロバイト (526 語) - 2023年3月22日 (水) 11:21
  • は屋号(または雅号)は、個人事業者が使用する仕事上の名前や店名、事務所名などの商号のことも指す。 江戸時代では、原則としては身分制度により武士や苗字帯刀を許された家以外の者が苗字を名乗ることが認められていなかったため、人口が増加するにつれ同地域内で同じ名を持つ者が増え、個人を特定・判別しにくくなった…
    13キロバイト (1,741 語) - 2024年4月28日 (日) 20:03
  • 杖術のサムネイル
    技術としては棒術の一種もしくは異称である。捕り手役人が犯罪者を捕縛するための捕手術や自衛武器の技術として発展した。また身分階級の士農工商において脇差以上の帯刀を許されなかった農民や町人等の護身術としても行なわれた一面もあるが、捕り方道具としての棒の呼称を嫌った流派においては、敢えて棒術ではなく杖術と呼ぶ事…
    5キロバイト (705 語) - 2022年10月2日 (日) 02:23
  • 戸田當流のサムネイル
    犬飼で若杉与市兵衛から免許皆伝を受けたことから始まる。これ以降、師匠から許された人物が相伝して指導者となった。 延岡藩では、戸田當流の指導者に名字と帯刀を許しており、小侍の役務を与えていたと推測される。 現在は宮崎県高千穂に祭りの棒術として残っている。 佐藤又次郎までの伝系は下記の通りである。 富田清玄忠重(加州)…
    3キロバイト (313 語) - 2024年3月9日 (土) 14:21
  • 石倉英彦 荻野 - 紅萬子 大木悟郎、吉田哲子、山下冴子、松尾勝人 第9話 「三途の川は渡れない」 角田基一郎 - 丹波義隆 黒川大膳 - 睦五朗 秋山帯刀 - 牧冬吉 柳川清、国田栄弥、上野美和、渡辺雅也、根本一也、片山早苗、新島愛一郎 第10話 「おれは盛岡には来なかった」 三戸信浄 - 平野稔 浦辺主膳…
    21キロバイト (2,155 語) - 2024年2月27日 (火) 22:16
  • 神傳不動流 (真妙流系)のサムネイル
    いた。矢田穏清斎は文化5年5月(1808年)の生まれである。没年は不明。矢田帯刀、源徳幸とも名乗った。 羽客の矢田半官を流祖としている。羽客の矢田半官から九世を経て矢田讃岐守源頼章が諸流を学び神傳慈眼流を開いた後、矢田帯刀源徳幸(矢田穏清斎)に至り神傳不動流と称したとされる。 夫れ當流の武術は羽客の傳にして矢田半官の創業也…
    11キロバイト (1,647 語) - 2024年6月4日 (火) 14:06
  • 中西良太 土屋京之介(土屋監物の三男) - 榊英雄 笠原嘉門(吟味与力) - 谷口高史 島田欽之助 - 石田登星 土屋監物(旗本) - 石山雄大 石出帯刀 - 芝本正 山崎伝八郎 - 外川貴博 石井亜可理 おとき(金貸し) - 営永淳子 大久保幸治、名本忍、内藤和也、中川峰男 田井克幸、大村康志、久保田光男、柴田裕司、江原政一、辻村綾二…
    22キロバイト (2,122 語) - 2024年6月10日 (月) 07:13
  • 在せず、金を貢がせるのが目的。金のためには脅迫も辞さず、ラブレターをコピーしてばらまくという脅しをかけたこともある。男の扱いは上手く、特に乱馬や九能帯刀の扱いに長けている。 ちゃっかりした性格だが、同時に冷静沈着で頭の回転が速い。大抵の出来事には動じず、冷静に傍観してツッコミを入れる。一方で、物事を…
    5キロバイト (902 語) - 2023年6月12日 (月) 04:23
  • 當田流のサムネイル
    十五代 清水宏二 ^ 太田尚充 2011 p.53-54 ^ 太田尚充 2011 p.221-236 ^ 島津兼治 1991 p.85-86 ^ 帯刀智 2006 p.53-54 ^ 太田尚充 2011 p.61-72 ^ 月刊秘伝 2012-5 p.69 ^ 太田, 尚充,「津軽弘前藩の武芸(7)」,文化紀要,26…
    11キロバイト (1,613 語) - 2023年11月28日 (火) 17:01
  • 呂流、左近衛中将・藤原敏行の三男。官位は正四位下・参議。 宇多朝において春宮帯刀舎人を務め、春宮大進次いで春宮亮を務めた父・敏行と共に皇太子・敦仁親王に仕える。寛平9年(897年)7月に敦仁親王が践祚(醍醐天皇)すると、帯刀舎人としての功労により右兵衛少尉に任ぜられるが、9月に敏行が右兵衛督となった…
    7キロバイト (903 語) - 2024年5月3日 (金) 11:01
  • 中条流、念流、新當流(神道流)、陰流は、その後、多くの支流を誕生させることとなる。 国内再統一の後、兵農分離、刀狩が行われた。これ以前に、武士でない庶民が平素から帯刀していた習慣があったことは、日本人と剣術との関わりの深さを認識する上で重要である。 戦場ではなく日常での戦いが前提とされた剣術が主流になったのは、この頃からである。…
    41キロバイト (6,609 語) - 2024年5月26日 (日) 07:51
  • 為我流のサムネイル
    『月刊秘伝』2004年5月号 横瀬知行「古武道の技と心をたずねて 第五回 無比無敵流杖術・為我流派勝新流柔術」,『月刊武道』2006年8月号,p60-71,日本武道館 帯刀智「為我流和術の盛衰と復興」,『月刊秘伝』2020年9月号,p88-92,BABジャパン. 和道流 兼相流 為我流派勝新流…
    7キロバイト (1,080 語) - 2024年5月4日 (土) 11:48
  • 直心影流薙刀術のサムネイル
    でいう「諸手左上段の構え」に相当する構え方である。 短刀術は、合気道などで用いる普及型の短刀よりも形状が長い。仕太刀すなわち薙刀を持つ側は常に短刀を帯刀しておくことが基本である。 袴は結び切りで着用する。十文字に着付ける天道流とは袴の着付け方で見分けがつく。また天道流のように上衣の袖を絞らず、打太刀…
    9キロバイト (1,070 語) - 2024年1月12日 (金) 02:27
  • 気楽流のサムネイル
    けている。臥龍斎高弟・菅沼勇輔の系統は武蔵国秩父方面を中心に伝来し、同じく高弟・児島善兵衛の系は上野国佐位郡方面を中心に伝承され、臥龍斎の養子・飯塚帯刀義高の系統は緑埜郡、勢多郡、新田郡、甘楽郡方面に伝来した。 1883年11月12日(明治16年)に体操伝習所が戸田流(気楽流)八谷達三を招いて調査を行っている。…
    47キロバイト (7,975 語) - 2024年4月29日 (月) 13:29
  • 薩土密約のサムネイル
    薩土密約 (カテゴリ 小松帯刀)
    薩土密約(さっとみつやく/さつどみつやく)は、江戸時代後期(幕末)の慶応3年5月21日(1867年6月23日)に、京都の小松帯刀(清廉)寓居(京都市上京区)で締結された、薩摩藩と土佐藩の実力者の間で交わされた、武力討幕のための軍事同盟で、「薩土同盟」とも呼ばれるが、性質の異なる「薩土盟約」も「薩土同…
    137キロバイト (24,163 語) - 2024年5月12日 (日) 10:14
  • 居合術のサムネイル
    居合術(いあいじゅつ)、もしくは居合(いあい)、抜刀術(ばっとうじゅつ)とは、日本刀を鞘に収めて帯刀した状態より、鞘から刀を抜き放つ動作で相手に一撃を与え、続く太刀捌きでさらに攻撃を加えたのち、血振るい残心、納刀するに至る形・技術を中心に構成された日本の武術である。…
    76キロバイト (11,198 語) - 2024年1月25日 (木) 12:22
  • 藤田東湖のサムネイル
    『水戸学の復興―幽谷・東湖そして烈公』(錦正社、2014年7月) ISBN 978-4-7646-0118-5 会沢正志斎(水戸藩家老。盟友) 安島帯刀(戸田忠太夫の弟) 海江田信義(薩摩藩士) 山内容堂(土佐藩主。東湖に師事) 田口秀実(東湖の私塾青藍舎の門下生) 文天祥(作詞した正気の歌は国士の愛唱歌として名高い)…
    15キロバイト (2,389 語) - 2024年3月2日 (土) 07:20
  • て、賀し申されける間、賓客堂上に群集し、僧俗門に立列る。後の禍をば未知、「哀大果報の少き人や。」と、云はぬ者こそ無りけれ。 213 藤井寺合戦事 楠帯刀正行は、父正成が先年湊川へ下りし時、「思様あれば、今度の合戦に我は必ず打死すべし。汝は河内へ帰て、君の何にも成せ給はんずる御様を、見はて進せよ。」と
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