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  • 大炊御門 信子(おおいのみかど のぶこ、応永18年(1411年) - 長享2年4月28日(1488年6月8日))は、後花園天皇の下臈。女院号は嘉楽門院(からくもんいん)。右馬助藤原孝長女で大炊御門信宗の猶子。子に後土御門天皇・観心女王。 初め、非参議和気郷成の猶子となり、郷子と呼ばれる。その後、和気…
    3キロバイト (361 語) - 2024年2月15日 (木) 06:18
  • ヨーク公リチャード・プランタジネット、イングランドの貴族・軍人、イングランド国王エドワード4世・リチャード3世の父親(+ 1460年) 大炊御門信子、後花園天皇の下臈(+ 1488年) 太田資清、室町時代の武将、守護代(+ 1488年) 大友親繁、室町時代の大名、大友氏の第15代当主(+ 1493年) 斎藤妙椿、室町時代の武将、僧(+…
    4キロバイト (733 語) - 2023年9月17日 (日) 22:00
  • 舎利弗のサムネイル
    臈の浅い比丘500人を引き連れ象頭(ガヤ)山に籠り釈迦教団からの分離独立を謀った事件(破和合僧罪)では、そこに舎利弗が出向いて説法をしたことによって下臈の比丘たちを引き戻すことに成功しており、その際、彼が説法をした時に起きたブロッケン現象に比丘たちが驚いたことが引き戻る契機になったともいわれる。…
    13キロバイト (1,648 語) - 2023年11月17日 (金) 04:37
  • 5月26日(長享2年4月15日) - 飯篠家直、室町時代、戦国時代の兵法家(* 1387年) 6月8日(長享2年4月28日) - 大炊御門信子、後花園天皇の下臈(* 1411年) 6月11日 - ジェームズ3世、スコットランド王(* 1451年/1452年) 6月30日 - アンドレア・デル・ヴェロッキオ、イタリアの彫刻家、画家、建築家(*…
    7キロバイト (1,116 語) - 2021年4月24日 (土) 12:39
  • 勝浦郡のサムネイル
    ^ 長門本のみ。[1] 判官これをば何といふ所ぞと尋ね給へば、 勝浦と申候、 軍に吉例とおもひて、汝は色代を申か、 さは候はず、御室御領五ヶ庄内、下臈はかつらと申候べとも、 字には勝浦と書て候、昔崇道尽敬天皇異賊を平らげ給ひしに、 軍かち給しよりして、勝浦と申伝へたりとぞ申、 判官大に悦てこれきき給へ殿原、…
    10キロバイト (1,144 語) - 2024年1月1日 (月) 05:00
  • 女官のサムネイル
    御末・女孺・御服所は天皇と顔を合わせることもできなかったとされる。なお、同時期の仙洞御所や女院御所では上臈・中臈・下臈の区別が行われていたが、上臈は尚侍・典侍相当、中臈は掌侍相当、下臈は御下相当とみなされていたとされる。なお、桜町天皇の時代に女官制度の改革が行われ、寛保3年(1743年)には女官に…
    20キロバイト (3,323 語) - 2023年10月25日 (水) 07:59
  • はなく御所の北の築地に沿う五間屋であり、六位の侍身分の者が中心となる。近習や護持僧もいるが大部分は武士であり、一般的に北面武士といえば、下北面(北面下臈とも)を指す。 創設の時期は、白河法皇の政治介入に批判的だった関白・藤原師通が急逝し、摂関家が弱体化した康和年間(1099年〜1104年)と推測され…
    8キロバイト (1,209 語) - 2023年9月17日 (日) 11:17
  • 後土御門天皇の養外祖父であることから、文明12年(1480年)1月26日に太政大臣を追贈された。『宣胤卿記』によれば、当日は信宗の十三年忌に当たるという。 父:大炊御門宗氏 母:不詳 妻:不詳 養子 男子:大炊御門信量 - 三条実量の子 女子:大炊御門信子 - 藤原孝長の娘、後花園天皇下臈
    3キロバイト (239 語) - 2019年7月5日 (金) 06:42
  • 生霊のサムネイル
    であるが、能楽の『葵上』もその題材の翻案である。 また、『今昔物語集』(平安末期成立)の「近江国の生霊が京に来りて人を殺す話」では、ある身分の低い(下臈の)者が、四つ辻で女に会い、某民部大夫の邸までの道案内を頼まれるが、じつは、その女がその大夫に捨てられた妻の生霊だったと後になって判明する。邸につく…
    14キロバイト (2,206 語) - 2024年4月11日 (木) 12:59
  • )。実名を信子とする説があるが、おばに当たる上記の信子との混同と考えられている。 大炊御門信子 - 藤原孝長の娘で、大炊御門信宗の猶子。後花園天皇の下臈で、後土御門天皇の母。 鷹司信子 - 鷹司教平の娘。江戸幕府将軍徳川綱吉の正室(御台所)。 このページは人名(人物)の曖昧さ回避のためのページです。…
    762バイト (162 語) - 2024年3月2日 (土) 08:32
  • れてきた簗田助良(軍記物では満助)の姪である「養寿」が安王丸・万寿王丸(成氏)兄弟の生母であるとすると推測する(春王丸の母は持氏に仕えた中臈もしくは下臈で、実家の家格は奉公衆以下であったと推測する)。安王丸が結城合戦の主将に立てられたのも、春王丸・安王丸の死後に万寿王丸が最終的に持氏の後継者として鎌…
    6キロバイト (815 語) - 2023年12月20日 (水) 14:45
  • 松本清張シリーズ・黒い断層「反射」(1961年、TBS) 大河ドラマ (NHK) 赤穂浪士(1964年) - 唐獅子の藤九郎 源義経(1966年) - 下臈判官公友 日産スター劇場 「やぶにらみの時計」(1964年、NTV) 特別機動捜査隊(NET / 東映) 第174話「早春」(1965年) 第774話「妻に捧げる協奏曲」(1976年)…
    15キロバイト (2,021 語) - 2024年1月29日 (月) 08:25
  • る簗田景助が安王丸の下で活動していることを指摘し、簗田氏の外孫は安王丸の方で春王丸の母はそれよりも身分が低い女性(奉公衆以下の家格出身の中臈もしくは下臈)であったとする。更に長塚は簗田助良(満助の実名)の姪として『簗田家譜』に登場する「養寿」という女性が万寿王丸(成氏)の生母とする見解から、安王丸の…
    8キロバイト (1,308 語) - 2023年8月23日 (水) 22:39
  • 源通親のサムネイル
    しかし保守的な兼実の執政下では通親の昇進は抑えられ、権中納言のまま留め置かれた。文治4年(1188年)正月、通親は下臈若輩の九条良経が超越して正二位に昇ったことに抗議し、所職を辞して自らも正二位に叙すことを求めたが、兼実は前年に従二位に叙した恩を知らないのは禽獣に異…
    22キロバイト (3,602 語) - 2023年4月21日 (金) 03:00
  • 清少納言のサムネイル
    岸上慎二は、例外的に親族の官職によらず定子によって名づけられた可能性を指摘している。後世の書ではあるが「女房官品」に「侍従、小弁、少納言などは下臈ながら中臈かけたる名なり」とあり、清原氏の当時としては高からぬ地位が反映されているとしている。 語呂の関係からか今日では「せいしょう・なごん」と発音…
    31キロバイト (4,624 語) - 2024年5月9日 (木) 03:40
  • 法住寺合戦のサムネイル
    を除く行家以下の源氏諸将が院御所の警護を始める。頼朝軍入京間近の報に力を得た院周辺では、融和派が逼塞し主戦派が台頭していた。『愚管抄』によると、北面下臈の平知康・大江公朝が「頼朝軍が上洛すれば義仲など恐れるに足りない」と進言したという。特に知康は伊勢大神宮の託宣を受けたと称するなど(『吉記』11月1…
    25キロバイト (4,226 語) - 2024年5月5日 (日) 12:58
  • り、逸名の持氏正妻の実子・義久の自害後、奉公衆簗田氏が生んだ安王丸が結城合戦の主将に擁立され(春王丸の実際の母親は奉公衆以下の家格出身の中臈もしくは下臈と推測)、安王丸が春王丸と共に殺害されると残された持氏の子でもっとも母親の出自が高かった成氏が持氏の後継者として擁立されたと推測している。…
    43キロバイト (7,344 語) - 2024年4月7日 (日) 09:26
  • 信子は、日本の女性名。主に「のぶこ」と読まれる。 大炊御門信子 (1411 - 1488) - 後花園天皇の下臈 鷹司信子 (1651 - 1709) - 江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉の正室(御台所) 信子女王 (曖昧さ回避) - 日本の女王(女性皇族)。 三条西信子 (1904 - 1945) -…
    4キロバイト (607 語) - 2023年3月29日 (水) 03:34
  • 北条義時のサムネイル
    ある『承久記』では、勝利の報を受け取った義時は「今ハ義時思フ事ナシ。義時ハ果報ハ王ノ果報ニハ猶マサリマイラセタリケレ。義時ガ昔報行、今一足ラズシテ、下臈ノ報ト生レタリケル(今は自分に思い残す事はない。この義時の前世からの果報は王の果報に勝っていたのだ。この世に報われる善行が一つ足りなかったために、卑…
    67キロバイト (11,463 語) - 2024年3月8日 (金) 10:31
  • 奥州後三年記のサムネイル
    六条の屋敷の向いに、「みのわ堂」を造営したとされている。つまり、本宅は京の義家の屋敷の隣。首藤氏はその後も、首藤資通の子、首藤親清が1130年に北面下臈、すなわち北面武士となる。そして1149年に左衛門少尉。最初に山内と出てくる前述の首藤義通は更にその子である。そして首藤氏が山内首藤を名乗る初見は保…
    36キロバイト (6,649 語) - 2023年8月18日 (金) 03:02
  • 親王袍橡、小直衣、公卿着禁色雑袍、雖殿上人、大臣息或孫、聽着禁色雑袍、貫首、五位藏人、六位藏人、着禁色、至極臈着麴塵袍、是申下御服之儀也、晴之時、雖下臈着之、袍色、四位已上橡、五位緋、地下赤衣、六位深綠、七位淺綠、八位深縹、初位淺縹、袍之紋、轡唐草輪無、家々以舊例着用之、任槐以後異文也、直衣、公卿禁
  • わにはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。 はじめより我はと思ひ上がりたまへる御方がた、めざましきものにおとしめ嫉みたまふ。同じほど、それより 下臈げろうの更衣たちは、ましてやすからず。朝夕の宮仕へにつけても、人の心をのみ動かし、恨みを負ふ積もりにやありけむ、いと篤あつしくなりゆき、もの心細げに里がちなるを、いよいよ
  • ぼんくらである (逐語訳: 『角の中の嗅ぎタバコのように暗い』) 単数・女性・生格: typ spod ciemnej gwiazdy - 下衆; 下臈 (逐語訳: 『暗い星の下からの類』) (≒ łotr spod ciemnej gwiazdy) 語義1: 「くらい#形容詞」を参照。 語義2: 浅黒い
  • 何れの御時にか、女御更衣数多侍ひ給ひける中に、いと止む事無き際には有らぬが、勝れて時めき給ふ、有りけり。初めより我はと思ひ上がり給へる御方々、目覚ましき者に貶め嫉み給ふ。同じ程、其れより下臈の更衣達は、況して安からず。 前の世にも御契りや深かりけむ、世になく清らなる玉の男御子さへ生まれたまひぬ。いつしかと心もとながらせたまひて、急ぎ参ら
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