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  • 三島事件のサムネイル
    三島由紀夫 > 楯の会 > 三島事件 三島事件(みしまじけん)とは、1970年(昭和45年)11月25日に作家の三島由紀夫(本名・平岡公威)が、憲法改正のため自衛隊に決起(クーデター)を呼びかけた後に割腹自殺をした事件である。三島が隊長を務める「楯の会」のメンバーも事件に参加したことから、その団体…
    288キロバイト (47,915 語) - 2024年4月29日 (月) 05:47
  • 三島由紀夫のサムネイル
    たに残ったか」を訊ねると、彼はただ掌を上に向けて、三島と森田の首の重さを持つようにしてじっとそれを見つめていただけだったという。 小賀正義 政治活動家。三島が結成した楯の会2期生で第5班班長。三島事件の実行メンバー。自動車運転を任されていた。「三島先生と同じかまの飯を食ってみて、ともに起き、野を駆…
    732キロバイト (107,805 語) - 2024年6月25日 (火) 05:06
  • 三島通庸のサムネイル
    三島 通庸 (みしま みちつね、1835年6月26日(天保6年6月1日) - 1888年(明治21年)10月23日)は、日本の内務官僚。位階・勲等・爵位は正三位勲二等子爵。通称は弥兵衛。林太郎、千木とも。県令時代は、反対派を押し切り強力に土木工事を進める手法から「土木県令」や「鬼県令」の異名[誰によって…
    53キロバイト (8,291 語) - 2024年5月25日 (土) 17:41
  • 三島雅夫のサムネイル
    三島 雅夫(みしま まさお、1906年〈明治39年〉1月2日 - 1973年〈昭和48年〉7月18日)は、日本の俳優。本名・長岡 正雄(ながおか まさお)。 東京都で生まれ、新潟県三島郡与板町(現・長岡市)に育つ。本名は長岡 正雄(ながおか まさお)。与板藩士であった父・茂雄と母・マツの間に6人兄弟…
    26キロバイト (3,607 語) - 2024年3月18日 (月) 12:34
  • 三島由紀夫文学館のサムネイル
    d e 山中湖文学の森・三島由紀夫文学館 ^ a b 工藤正義三島由紀夫文学館」(事典 2000, pp. 607–608) ^ 三島由紀夫文学館――ごあいさつ ^ 山中湖・三島由紀夫文学館 新館長、佐藤秀明さん抱負(山梨日日新聞電子版、2017年5月19日号) ^ 三島
    22キロバイト (2,589 語) - 2024年6月18日 (火) 00:15
  • 『交渉人 真下正義』(こうしょうにん ましたまさよし、英題: Negotiator)は、『踊る大捜査線』のスピンオフ映画。2005年5月7日に『THE ODORU LEGEND CONTINUES』として公開された。 キャッチコピーは「He's back up?(彼は脇役だろ…
    29キロバイト (3,633 語) - 2023年12月24日 (日) 21:36
  • 正義の味方ではあるが、ふしぎな風貌を持っている。まず、顔が不気味なガイコツである。」 ^ 三島由紀夫「第二十章」『奔馬』新潮社〈決定版 三島由紀夫全集 第13巻〉、2001年(初出1967年)、614頁。ISBN 410642553X。 「紙芝居屋は咳払ひをして、エー正義
    58キロバイト (6,993 語) - 2024年3月16日 (土) 22:54
  • 檄 (三島由紀夫)のサムネイル
    三島由紀夫 > 楯の会 > 三島事件 > 檄 (三島由紀夫) 『檄』(げき)は、三島由紀夫の最後の声明文。1970年(昭和45年)11月25日、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地内の東部方面総監室を占拠後(三島事件)、バルコニーから演説する際に撒布されたもの。原稿用紙にして9枚ほどの長さの10段落の文章で、B…
    18キロバイト (2,599 語) - 2024年5月25日 (土) 07:09
  • 本とは。そして、1970年(昭和45年)11月25日、三島は楯の会の4人と共に、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地へと向かう。 井浦新:三島由紀夫(楯の会隊長) 満島真之介:森田必勝(楯の会2代目学生長) 岩間天嗣:古賀浩靖(楯の会隊員) 永岡佑:小賀正義(同上) 鈴之助:小川正洋(同上)…
    9キロバイト (1,043 語) - 2024年4月14日 (日) 11:40
  • 三島弥彦のサムネイル
    三島 弥彦(みしま やひこ、旧字体:三島 彌彥、1886年(明治19年)2月23日 - 1954年(昭和29年)2月1日)は、明治期の陸上選手、銀行家。日本初のオリンピック代表選手として1912年開催のストックホルムオリンピックにマラソンの金栗四三と共に参加した。父は警視総監の三島
    20キロバイト (2,821 語) - 2024年6月17日 (月) 10:36
  • 平岡瑤子 (三島瑤子からのリダイレクト)
    1995年(平成7年)7月31日)は、三島由紀夫の妻。杉山寧の娘。専業主婦として側面から三島の文筆活動を支え、未亡人となってからは、夫の書誌の編集や遺作の整理・保存、著作権保護に尽力し、経団連襲撃事件の際には、犯人の元楯の会会員の説得にあたった。 なお、瑤子と新婚旅行中の三島
    60キロバイト (9,143 語) - 2024年5月19日 (日) 05:27
  • 塩谷正義 (代官)のサムネイル
    塩谷 正義(しおのや まさよし)は、江戸時代後期の武士(幕臣)。塩谷義通流塩谷氏の7代目。塩谷大四郎の通称で広く知られている。 粟津清喬の次男(庶子)として武蔵国葛飾郡に生まれる。 粟津氏は、平安時代に酒呑童子を退治したと伝わる源頼光の支流と言われ、近江の粟津を発祥とする一族であった。正義
    22キロバイト (3,810 語) - 2023年6月19日 (月) 19:11
  • 楯の会 (カテゴリ 三島由紀夫)
    三島は、「私の今日は、この本によって決まりました」と献呈し、山本1佐に自分の心情を伝えた。 5月6日、三島は「憲法改正草案研究会」のための資料『問題提起』の第1回「新憲法における『日本』の欠落」を会員に配布した。 5月中旬、三島宅に森田必勝、小賀正義
    121キロバイト (19,548 語) - 2024年6月20日 (木) 02:38
  • 三島桜(みしま さくら) 三島の養女。元は麻薬中毒の実父に児童虐待を受けながら育った少女で、その実父が死んだ後、三島に引き取られた。アダルトチルドレンでもあり、普段はしっかり者で人当たりの良い印象を与えるが、感情を表に出さない傾向を持っていた。26年前の誘拐事件で救った筈の三島
    69キロバイト (10,972 語) - 2024年5月23日 (木) 19:09
  • 三島由紀夫 最後の言葉」(対:古林尚)まで。 砂漠の住民への論理的弔辞 『三島由紀夫全集34巻(評論X)』(新潮社、1976年2月25日) 装幀:杉山寧。四六判。背革紙継ぎ装。貼函。旧字・旧仮名遣い。 月報:小賀正義「日本人対日本人」。阿部勉「三島隊長の『問題提起(日本国憲法)』」。《評伝・三島
    21キロバイト (3,161 語) - 2022年4月6日 (水) 02:24
  • 小賀 正義(こが まさよし、1948年(昭和23年)7月31日 - )は、日本の政治活動家。民族主義者。三島由紀夫が結成した「楯の会」の2期生で第5班班長。三島、森田必勝と共に、憲法改正のための自衛隊の決起(クーデター)を呼びかける三島事件に参加した一員である。…
    18キロバイト (2,494 語) - 2023年12月8日 (金) 10:54
  • 四国中央市のサムネイル
    別子山(1898年から1952年にかけて、三島・川之江・上分・金生・寒川は町制を施行) 天領だった川之江は、幕末に土佐藩が駐留した縁で、土佐出身の板垣退助率いる自由党系とのつながりが深かった。一方、三島は進歩党系に接近し、進歩党系松方正義政権下の1897年に宇摩郡役所の三島村移転を成功させた。これ以降、「川之江は政友会・三島
    63キロバイト (7,798 語) - 2024年4月30日 (火) 16:48
  • 愛の処刑 (カテゴリ 三島由紀夫の短編小説)
    1983年(昭和58年)11月2日封切。カラー60分。 監督 - 野上正義 脚本 - 吉本昌弘 製作 - 伊藤文學 出演 - 御木平介、石神一 製作 - 塁プロモーション 配給 - ENKプロモーション 『決定版 三島由紀夫全集 補巻 補遺・索引』(新潮社、2005年12月25日)…
    7キロバイト (901 語) - 2022年6月17日 (金) 23:49
  • 那須塩原市のサムネイル
    1902年(明治35年) - 皇太子行啓。狩野第二尋常小学校(三島小学校)開校。元帥陸軍大将陸軍参謀総長大山巌、別邸建築。 関谷宿大火。 1903年(明治36年) - 西那須野尋常小学南校(南小学校)開校。 松方正義、別邸建築。三島通庸の別邸を献上を受けて塩原御用邸を造営。 1904年(明治37年)…
    103キロバイト (14,131 語) - 2024年5月26日 (日) 16:17
  • ミシマ:ア・ライフ・イン・フォー・チャプターズ (カテゴリ 三島由紀夫原作の映画作品)
    - 『憂国』のプロデューサー・ 藤井浩明 福原秀雄 - 軍医 1970年11月25日 緒形拳 - 三島由紀夫・45歳 塩野谷正幸 - 「楯の会」学生長・森田必勝 三上博史 - 「楯の会」隊員・小賀正義 立原繁人(現・芸名 徳井優) - 「楯の会」隊員・古賀浩靖 Junya Fukuda - 「楯の会」隊員・小川正洋…
    24キロバイト (3,184 語) - 2024年1月12日 (金) 13:23
  • 、程なく立たせられしとぞ、〈武徳大成記、大業広記、〉 此度の御出陣いと忍びやかにおはしまして、御旗もしぼらせ、御旗印・御馬印も目に立たぬ程にせられ、三島に着せらるゝと、御馬印は熱田へもて行けと仰せて、奉行人もそはで、たゞ御小人計にて御先へまかり立つ大垣に着御ありて後、はじめて旗幟など押立て、いとおご
  • いっぽう、批判された側の自由党も、改進党と三菱財閥との関係をあばいた。 いっぽう、増税などによる不満により、1882年には、福島で県令の三島通庸(みちつね)による道路建設工事に対する運動が起き、三島に反対をした河野広中ら自由党員が反乱をくわだてたとして逮捕された(福島事件)。ついで関東でも反乱が起きた。
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