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  • フランス復古王政のサムネイル
    王政が復活した。 復古王政は早くとも1814年4月6日から1830年の七月革命の民衆蜂起まで続いたが、百日天下の間は王家はフランス国内からヘントへの亡命に追い込まれた。 復古王政期のブルボン朝はアンシャン・レジームのような絶対王政ではなく立憲王政
    61キロバイト (8,455 語) - 2024年3月4日 (月) 16:50
  • フランス王国のサムネイル
    王政ではなく立憲王政の政体であった。 七月革命により、新たにブルボン家の支流であるオルレアン家のルイ・フィリップが即位し、オルレアン朝(1830年 - 1848年)が成立した。ルイ・フィリップの王政七月王政とも呼ばれる。ルイ・フィリップは内閣制度を導入して、立憲王政
    17キロバイト (1,474 語) - 2024年5月13日 (月) 06:17
  • レジオンドヌール勲章のサムネイル
    七月王政期のグランクロワ副章。中央にアンリ4世の横顔をあしらい、Honneur et Patrieの銘で囲み、輻射の間に三色旗を挟む。 第二帝政期のコマンドゥール正章。表面中央にナポレオンの横顔をあしらい、帝冠形の鈕が付く。 第二帝政期のレジオンドヌール勲章頸飾…
    56キロバイト (6,386 語) - 2024年5月8日 (水) 06:07
  • エドゥアール・モルティエのサムネイル
    エドゥアール・モルティエ (カテゴリ 7月王政の人物)
    Casimir Joseph Mortier, 1768年2月13日 - 1835年7月28日)は、フランス革命戦争・ナポレオン戦争の軍人。帝国元帥。七月王政期に首相(在任:1834年 – 1835年)を務めたが、在任中に暗殺された。 1768年2月13日、カトー=カンブレジで生まれた。179…
    7キロバイト (591 語) - 2024年4月12日 (金) 21:33
  • フランソワ・ピエール・ギヨーム・ギゾーのサムネイル
    François Pierre Guillaume Guizot, 1787年10月4日 - 1874年9月12日)は、フランスの政治家、歴史家、七月王政期の最後の首相。 1787年10月4日、フランス南部のニームで生まれた。プロテスタントでブルジョワの家庭であり、父はフランスでも有力な弁護士であっ…
    29キロバイト (3,253 語) - 2024年3月22日 (金) 20:40
  • 代議院 (フランス)のサムネイル
    代議院 (フランス) (カテゴリ 7月王政)
    députés)は、19世紀から20世紀にかけてのフランスの諸議会の名称である。 復古王政七月王政期(1814年–1848年)の代議院は、納税額による制限選挙で選出された議員からなる議院(フランス議会下院)である。上院は貴族院になる。 第三共和政期(1875年–1940年)の代議院は、普通選挙で選出された議員からな…
    10キロバイト (1,341 語) - 2022年1月6日 (木) 15:21
  • テュイルリー宮殿のサムネイル
    七月革命が起きた。7月29日の市街戦に際しては一連の暴徒がテュイルリー宮殿に乱入し、家具や装飾品らを盗んだり、破損している。七月王政が成立すると、新しい国王ルイ・フィリップは直ちにテュイルリーで居住することを拒否したが、1831年2月の暴動で警護問題が提起され、王政
    14キロバイト (1,969 語) - 2023年9月12日 (火) 12:12
  • ルイ・フィリップ (フランス王)のサムネイル
    ルイ・フィリップ (フランス王) (カテゴリ 7月王政の人物)
    して、1848年の2月革命でパリ市民が蜂起すると、ルイ・フィリップ1世は味方がまったくいない状況に直面してしまった。そして、1848年2月24日に七月王政が倒れ、フランス第二共和政が成立した。 シャルル10世が退位したときに衛兵を連れて撤退したのに対し、ルイ・フィリップ1世はテュイルリー宮殿の裏門か…
    24キロバイト (2,322 語) - 2024年3月22日 (金) 22:15
  • ジョルジュ・オスマンのサムネイル
    1809年、第一帝政期のパリにて、アルザス出身の家庭に生まれた。父はナポレオン1世に仕えており、主に政権の財政面を担当していたため、パリの金融界に顔の利く人物であった。この際に培われた父の人脈は、ジョルジュ・オスマンが立身出世を成し遂げる上で役に立った。1815年のナポレオン失脚後に成立したブルボン家復古王政
    11キロバイト (1,440 語) - 2023年10月13日 (金) 10:53
  • ヴァンデの反乱のサムネイル
    ヴァンデの反乱 (カテゴリ フランス革命の出来事)
    ール9日のクーデター(革命派内の対立によるジャコバン派政権へのクーデター)、ナポレオン時代の後、復古王政による立憲王政化で農村共同体基盤社会が復活した。フランス共和国が近代化に向かったのは七月王政期の産業革命を経た後からである。 1793年3月、不平等な30万人募兵令に反発しフランス各地で蜂起が起…
    16キロバイト (2,239 語) - 2023年12月26日 (火) 12:30
  • résolution)に置き換えられ、「デクレ」の語は用いられなくなった。 第一帝政期においては、国家元首(フランス皇帝)の発する文書との意味で、「デクレ」の語が再び用いられるようになった。 復古王政期および七月王政期には再び用いられなくなる。「オルドナンス」(ordonnance)という語が命令を示す語としては好まれたためである。…
    12キロバイト (1,073 語) - 2023年6月30日 (金) 21:54
  • シャンティイ城のサムネイル
    構造は大きく分けて「グラン・シャトー」と「プチ・シャトー」の2つから成っている。「グラン・シャトー」はフランス革命に最初の建物が破壊された後、1870年代に七月王政期の国王ルイ・フィリップ5男で同城相続人だったオマール公アンリ・ドルレアンによって再建されたものである。「プチ・シャトー」は…
    3キロバイト (301 語) - 2024年1月20日 (土) 23:47
  • ルイ18世 (フランス王)のサムネイル
    にナポレオンに取り入って付和雷同した人士らを反逆罪で処罰する趣旨の布告文が公布され、ネイ元帥などの高級将校が銃殺された。このような措置でも「白色テロ」を重ねるユルトラを満足させるには力不足だった。白色テロの用語はフランス王国の白旗から由来したもので、三色旗は復古王政下で禁止されたが、七月王政期
    32キロバイト (4,303 語) - 2024年4月17日 (水) 07:11
  • ニコラ=ジャン・ド・デュ・スールトのサムネイル
    ニコラ=ジャン・ド・デュ・スールト (カテゴリ 7月王政の人物)
    ナポレオンの再退位に伴う第二次復古王政でははじめ追放されたものの、1819年に呼び戻され、1820年にフランス元帥の称号も回復した。第二次復古王政では自身が熱烈な王党派であること自任した。 1830年の七月革命ではオルレアン家を支持した。これにより、王位に就いたルイ・フィリップ1世に重用され、首相を3(1832年10月…
    16キロバイト (1,551 語) - 2023年5月30日 (火) 14:18
  • アドルフ・ティエールのサムネイル
    アドルフ・ティエール (カテゴリ 7月王政の人物)
    of the souls of the actual revolution)と評するほどの活躍をした。 七月王政期では国王ルイ・フィリップ1世を支持する急進派の一員として活躍、エクスから代議院議員に選出されたのち財務省の官僚を務め、1832年の六月暴動の後は…
    15キロバイト (1,442 語) - 2023年12月24日 (日) 11:35
  • ンド勢力(アンジュー帝国⇒イングランド・フランス二重王国)⇒フランス共和国(第一共和政)⇒フランス帝国(第一帝政)⇒フランス王国(ブルボン復古王政七月王政)⇒フランス共和国(第二共和政)⇒フランス帝国(第二帝政)⇒フランス共和国(第三共和政)⇒ヴィシー政権(ナチスの傀儡政権)/自由フランス(ナチ…
    26キロバイト (2,693 語) - 2023年12月7日 (木) 05:14
  • ンの失脚によりアンシャン・レジームは復活したが、国内には王党派とボナパルティストとの深刻な対立が残された。もっともフランス復古王政下の反動的な政治体制は長続きせず、やがて七月革命で打倒される。 [脚注の使い方] ^ 『中学社会 歴史』(教育出版。中学校 社会科用 平成8年2月29日 文部省検定済。教科書番号:17教出…
    5キロバイト (630 語) - 2023年7月6日 (木) 02:49
  • ラ・マルセイエーズのサムネイル
    フランス革命前、および復古王政期の国歌。 神は偉大な王を守る(Domine, salvum fac regem)- フランス王国の準国歌、王室歌。 門出の歌(Le chant du depart)- 第一帝政期の国歌。 ラ・パリジェンヌ(La Parisinenne)- 七月王政(オルレアン朝)の国歌。 ジロンド派の歌(Le…
    28キロバイト (2,080 語) - 2024年5月1日 (水) 01:45
  • 元老院 (フランス)のサムネイル
    1795年創設の Conseil des Anciens(元老会)を起源とする。 その後、護憲元老院となり、復古王政七月王政時代は貴族院になる。 第二帝政時代の1851年に Sénat(元老院)と称される。 第三共和政時代の1875年から1940年にも…
    8キロバイト (503 語) - 2024年3月10日 (日) 06:38
  • 共和主義のサムネイル
    であり、いっぽうジャコバン派が急進的な民主主義者と捉えうるが、その後はナポレオン・ボナパルトの統治(執政政府および第一帝政)を経て復古王政(レジティミスム)や七月王政(オルレアニスム)、第二帝政(ボナパルティズム)などの権威主義、さらには社会主義などとも絡みあって複雑な展開をみせた。…
    13キロバイト (1,783 語) - 2023年6月18日 (日) 01:33
  • 何処有哉、吾宗将㆑滅、憂不㆓自勝㆒、鞍作以為、己除㆓骨鯁㆒、方無㆓後悔㆒、安漢詭譎、徐顕㆓於朝㆒、董卓暴慢、既行㆓於国㆒、於㆑是中大兄謂㆓大臣㆒曰、王政自㆑出㆓大夫㆒、周𣂰将㆑移㆓季氏㆒、公如㆓之何㆒、願陳㆓奇策㆒、大臣具述㆓撥㆑乱反㆑正之謀㆒、中大兄悦曰、誠吾之子房也、大臣将㆘求㆓勢門之佐㆒、【伏本作欲
  • 将校によるデカブリストの乱が起こったが鎮圧された。そんな中、ウィーン体制によってブルボン朝が復活していたフランスでは七月革命が起き、自由主義者のルイ・フィリップが王位につき、七月王政が成立した。イギリスではこの影響を受け第一次選挙法改正がおこなわれた。選挙権を得られなかった労働者はチャーチスト運動
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