フレデリック・ハズリット・ブレナン

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フレデリック・ハズリット・ブレナン
Frederick Hazlitt Brennan
生誕 (1901-09-23) 1901年9月23日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ミズーリ州セントルイス
死没 1962年6月30日(1962-06-30)(60歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国カリフォルニア州ベンチュラ郡
職業 脚本家
活動期間 1929年 – 1961年
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フレデリック・ハズリット・ブレナン(Frederick Hazlitt Brennan、1901年9月23日1962年6月30日)は、アメリカ脚本家[1]。1929年から1953年にかけて、30本を超える映画作品の脚本を執筆した[要出典]。1955年から1961年にかけてアメリカABCテレビで放映された西部劇ドラマ『保安官ワイアット・アープ』のディレクターとしても知られる[1]

生涯[編集]

ミズーリ州セントルイス生まれ。ミズーリ大学で学び、新聞記者として就職した[1]。多くの短編小説[要出典]を執筆し、『サタデー・イブニング・ポスト』誌や『コリアーズ・ウイークリー英語版』誌などに掲載された[1]。またいくつかの小説を出版した他、劇場向けの脚本も執筆した。ブロードウェイで上演された劇『ザ・ウーキー』が有名である[要出典]

ブレナンはカリフォルニア州南部のベンチュラ郡にて死去した。死因は銃で自分自身を撃ったことによる銃創であった。3人の子供を残した[1]

代表作[編集]

参考文献[編集]

  1. ^ a b c d e Frederick Hazlitt Brennan Papers (Collection 951)”. 2021年1月22日閲覧。 UCLA Library Special Collections, Charles E. Young Research Library, University of California, Los Angeles

外部リンク[編集]