「キリストの哀悼 (ペルジーノ)」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
Meine Libe (会話 | 投稿記録) m Category:イエス・キリストを描いた絵画を追加 (HotCat使用) |
編集の要約なし |
||
15行目: | 15行目: | ||
| museum = [[ウフィツィ美術館]] |
| museum = [[ウフィツィ美術館]] |
||
}} |
}} |
||
『'''キリストの哀悼'''』(キリストのあいとう)、または『[[ピエタ]]』(伊: Pietà)は、[[イタリア]]の[[ルネサンス]]期の画家[[ペルジーノ|ピエトロ・ペルジーノ]]が1483年から1493年 |
『'''キリストの哀悼'''』(キリストのあいとう)、または『[[ピエタ]]』(伊: Pietà)は、[[イタリア]]の[[ルネサンス]]期の画家[[ペルジーノ|ピエトロ・ペルジーノ]]が1483年から1493年ごろに制作した[[油彩]]画。[[フィレンツェ]]の[[ウフィツィ美術館]]に所蔵されている。 |
||
⚫ | |||
⚫ | |||
⚫ | |||
== 歴史 == |
== 歴史 == |
||
23行目: | 29行目: | ||
絵画は1998年に修復された。 |
絵画は1998年に修復された。 |
||
== 概要 == |
|||
⚫ | |||
⚫ | |||
⚫ | |||
== 出典 == |
== 出典 == |
||
* {{Cite book|first=Vittoria|last=Garibaldi|language=Italian|title=Pittori del Rinascimento|publisher=Scala|chapter=Perugino|location=Florence|year=2004}} |
* {{Cite book|first=Vittoria|last=Garibaldi|language=Italian|title=Pittori del Rinascimento|publisher=Scala|chapter=Perugino|location=Florence|year=2004}} |
||
2021年6月9日 (水) 08:53時点における版
イタリア語: Pietà | |
作者 | ピエトロ・ペルジーノ |
---|---|
製作年 | 1483-1493年 |
種類 | カンヴァスに油彩 |
寸法 | 168 cm × 176 cm (66 in × 69 in) |
所蔵 | ウフィツィ美術館、フィレンツェ |
『キリストの哀悼』(キリストのあいとう)、または『ピエタ』(伊: Pietà)は、イタリアのルネサンス期の画家ピエトロ・ペルジーノが1483年から1493年ごろに制作した油彩画。フィレンツェのウフィツィ美術館に所蔵されている。
ピエタの場面は、1480年代と1490年代のペルジーノの芸術の典型的な主題となっており、柱廊の下に描かれた (洗礼者ヨハネと聖セバスティアヌの間の聖母子を描いている『アルバーニ・トルローニアの多翼祭壇画』など)。葉の少ない木々のある穏やかな風景は、この時期の画家の絵画に共通している。
ドイツの祈念像 (Vesperbild) のように、キリストの身体は水平で非常に硬く、左側の洗礼者ヨハネと右側のマグダラのマリアも同様である。側面にはさらに他の聖人がいる。左側には胸の中で手を合わせた若い聖人 (ニコデモ)、右側には年老いた聖人 (アリマタヤのヨセフ) が俯いている。
歴史
作品は、サン・ジュスト・アッレ・ムーラ教会付属修道院のために『ゲッセマネの祈り』および『磔刑』とともに描かれた。ルネサンス美術の伝記作家ジョルジョ・ヴァザーリは、1529年のフィレンツェ包囲戦で修道院が破壊された後、サン・ジョヴァンニ・バッティスタ・アッラ・カルツァ教会の側祭壇でその三作を見た。 本作は、20世紀にウフィツィ美術館に移された。
作品の制作年は議論されており、ペルジーノがローマからフィレンツェに戻った1482年から少し後の年度までさまざまに考察されている。この時期に画家は、実験的にのみ油彩を使用している。いずれにしても、画家が油彩のみを使用し始めた15世紀末よりは前であろう。
絵画は1998年に修復された。
出典
- Garibaldi, Vittoria (2004). “Perugino” (Italian). Pittori del Rinascimento. Florence: Scala