「陳那」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
m style |
編集の要約なし |
||
1行目: | 1行目: | ||
'''陳那'''('''じんな'''、dignaaga दिग्नाग(sanskrit)の音写、[[480年]]頃-[[540年]]頃)は、仏教論理学(=[[因明]])の |
'''陳那'''('''じんな'''、ディグナーガ、dignaaga दिग्नाग(sanskrit)の音写、[[480年]]頃-[[540年]]頃)は、仏教論理学(=[[因明]])の最高峰を極めたとされる。[[有相唯識]]派の思想家。南インドの[[婆羅門]]の出身。最初は、[[部派仏教]]の[[犢子部]]において出家したが、後に[[大乗仏教]]に帰し、[[世親]]のもとで[[唯識]]と論理学を学んだと伝えられる。 |
||
== 二量説 == |
== 二量説 == |
2004年9月6日 (月) 01:27時点における版
陳那(じんな、ディグナーガ、dignaaga दिग्नाग(sanskrit)の音写、480年頃-540年頃)は、仏教論理学(=因明)の最高峰を極めたとされる。有相唯識派の思想家。南インドの婆羅門の出身。最初は、部派仏教の犢子部において出家したが、後に大乗仏教に帰し、世親のもとで唯識と論理学を学んだと伝えられる。
二量説
集量論、因明正理門論の2本において、二つの量(=判断規範)によって正しさを確認するとする。
陳那まで、仏教においても聖教量という判断規範を立てていた。たとえば経典などのように、絶対者の言葉はそれだけで判断規範であったが、それを完全に否定し、経典にあるから正しいのではなく、正しいことが説かれているから規範とすべきであるとして、それまでの三量説を捨て、二量説を立てた。
さらに、現量と比量において、それまで比量を上位としていたが、言葉を基とする論理を使う比量より、仏のさとりは言語を超えたところにあり、それがもっとも正しいものであるので、現量を上位におき、言葉でそれを伝えて経典は二次的なものであることを論証している。
著作
中国では「八論」が数えられるが、現存する漢訳論書は5本である。
- 集量論(PramaaNasamuccaya) 漢訳された記録はあるが現存せず、サンスクリット本のみ現存する。