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2020年7月8日 (水) 15:18時点における版
江戸4代目 | |
結三柏は、桂文治一門の定紋である。 | |
本名 | 渡邊 平三郎 |
---|---|
生年月日 | 1819年 |
没年月日 | 1868年7月27日 |
師匠 | 司馬齋次郎 江戸3代目桂文治 |
名跡 | 1.司馬才賀(1837年 - 1841年) 2.4代目桂文治(1841年 - 1861年) 3.2世桂大和大掾(1861年 - 1868年) 4.桂桂寿(1868年) |
活動期間 | 1837年 - 1868年 |
家族 | 6代目文治(長男) 4代目桂文之助(次男) 江戸3代目桂文治(義父) 都川歌丸(実兄) |
桂 桂寿(かつら けいじゅ、文政2年(1819年)(逆算) - 慶応3年6月26日(1867年7月27日))は、江戸時代後期の落語家。本名: 渡邊 平三郎。江戸の4代目桂文治であった。
経歴
父は徳川将軍家伊賀組鉄砲組の渡邊平五郎で、その三男に生まれる。兄に音曲師の都川歌丸がいた。
1837年7月、浮かれ節・胡弓・虫の音の名人といわれた司馬齋次郎の門下に入り、司馬才賀の名で噺家となる。
1861年初席にて江戸3代目文治門下の2代目桂文楽に5代目を譲り、自らは2世桂大和大掾に改名。晩年には桂桂寿を名乗ったとされる。
人物
芝居噺や人情噺を得意とした。