「高英」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
1行目: 1行目:
{{基礎情報 君主の正配
'''高 英'''(こう えい、? - [[518年]])は、[[北魏]]の[[宣武帝]]の[[皇后]]。宣武帝の生母[[高照容]]の姪にあたる。
| 人名 = 高皇后
| 各国語表記 =
| 正配称号 = [[北魏]]の皇后
| 画像 =
| 画像サイズ =
| 画像説明 =
| 在位 = [[508年]] - [[515年]]
| 戴冠日 =
| 別称号 =
| 全名 = 高英
| 別称 =
| 出生日 =
| 生地 =
| 死亡日 = [[518年]]
| 没地 =
| 埋葬日 =
| 埋葬地 =
| 結婚 =
| 配偶者1 = [[宣武帝]]
| 子女 = 皇子、建徳公主
| 氏族 = <!--出身氏族-->
| 家名 =
| 父親 = 高偃
| 母親 = 王氏(武邑君)
| 宗教 =
| サイン =
|空欄表題1 =
|空欄記載1 =
|空欄表題2 =
|空欄記載2 =
|空欄表題3 =
|空欄記載3 =
}}
'''高 英'''(こう えい、? - [[518年]])は、[[北魏]]の[[宣武帝]]の2番目の[[皇后]]。宣武帝の生母[[高照容]]の姪にあたる。


== 生涯 ==
== 生涯 ==

2019年10月20日 (日) 01:06時点における版

高皇后
北魏の皇后
在位 508年 - 515年

全名 高英
死去 518年
配偶者 宣武帝
子女 皇子、建徳公主
父親 高偃
母親 王氏(武邑君)
テンプレートを表示

高 英(こう えい、? - 518年)は、北魏宣武帝の2番目の皇后。宣武帝の生母高照容の姪にあたる。

生涯

高偃と王氏(武邑君)のあいだの娘として生まれた。503年景明4年)、宣武帝の後宮に入って貴嬪(妃)となった。皇子を生んだが、その子は夭逝した。また、建徳公主を生んだ。507年(正始4年)10月、皇后于氏は急死し、世間は高英の仕業ではないかと噂した。翌年(508年)、高英は皇后に立てられた。

515年延昌4年)、孝明帝が即位すると、皇太后となった。まもなく出家して尼僧となり、瑤光寺に住持して、慶事の大節以外は宮中に入らなかった。518年神亀元年)9月24日、急死した。

子女

  • 男子 (夭折)
  • 建徳公主

伝記資料

  • 魏書』巻13 列伝第1
  • 北史』巻13 列伝第1
  • 魏瑶光寺尼慈義墓誌銘(高英墓誌)