「プリンス・ジョンソン」の版間の差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
[[1980年]]に[[アメリコ・ライベリアン]]の政権を終わらすため、[[クラン族]]出身のドウ軍曹を中心に先住民族出長の軍人らが軍事クーデター起こし政権を握る。しかし[[1985年]]にドウ政権がクラン族優先の政策をしていた為、それに不満を持つギオ族の軍人[[トーマス・クィウォンパ]]らと共にクーデターを起こすが失敗し[[コートジボワール]]へ亡命している。
 
[[1987年]]に[[チャールズ・テーラー]]によるドウ政権打倒を狙ったリベリア国民愛国戦線 (NPFL) に参加し、[[リビア]]で[[ゲリラ]]訓練を受けた。[[1989年]]にNPFLの軍事司令官としてテーラーと共にリベリアに侵入してリベリア内戦を起こした。しかし、テーラーと政治的な理念などの違いなどで対立し、テーラーから処刑容疑をかけられ同胞のギオ族の兵士らと共に[[1990年]]2月にテーラーが反逆罪でジョンソンを処刑しようとした為、仲間のギオ族らと共にNPFLを離脱しINPELリベリア独立国民愛国戦線(INPFL)を結成した。
 
1990年9月9日、ドウ大統領が[[西アフリカ諸国経済共同体|ECOMOG]](西アフリカ平和維持軍)にジョンソンの敵・テーラーを倒し「ジョンソンとの間で、同盟を組む協議をしたい。祖国は、これまであまりにも戦争に蹂躙されすぎてきた」と訴え、ECOMOGの仲介を頼みにECOMOG駐屯地を訪れた。その事をECOMOGの将官から知らされたジョンソンは、ドウを捕らえるチャンスと見て「主よ!イエスよ!」と叫び「私も全く同じ事を考えていた。私も戦争に疲弊している。ドウ大統領は、真の愛国者だ。私は今から彼に会いにでかけ、彼に抱擁して接吻しよう」と、今からドウに会いに行くとECOMOGの将官に伝えた。その事はドウの耳に入り、ドウはその事をすっかり信じECOMOG駐屯地でジョンソンが来るのを待っていた。
ドウを捕らえたINPELの兵士はドウをジョンソンが待つモンロビアの港にあるINPELの陣地に連れて行った。ジョンソンはまず、殺す前にドウに苦痛を与えてやろうと、ドウを地面に寝かせ、部下に命令し蹴りを入れたり殴るなどして痛みつけ「お前だな、大統領になるために戦争をした男は。お前など、悪魔だ。悪魔が取り憑いた男だ。武器の力を借りて、大統領で居続けた男だ」とドウに言い放った。ドウはジョンソンと和解しようと必死にジョンソンに対話を求めるも、ジョンソンは「お前は、私と話をしたいというのか。誰が悪魔などと話をするか」と言い放ち、ジョンソンは部下にドウの耳を切り取れと命令した。
 
ドウの耳は切り取られ、さらに苦痛を与える為、ジョンソンはドウの足や胸を切り付け、指なども切り取る様に指示し、残酷な拷問の末にドウを銃殺刑にした。ドウ大統領を殺したジョンソンは自分こそが暫定大統領だと主張した。前述のとおりジョンソンが、結局親アメリカ、親ECOMOGでり、そのためリビア政府と親密な関係を築くテ[[エモス・ソに不満ヤー]]あり、アメリカその座よるリベリア内戦の介入を強求めていこととなった。
 
前述のとおりジョンソンは親アメリカ、親ECOMOGでり、そのためリビア政府と親密な関係を築くテーラーに不満があり、アメリカによるリベリア内戦の介入を強く求めていた。
 
[[1991年]]には独立民主党 (IDP) を結成したが、INPEL内部での残虐行為が明らかになり、他の勢力から殺人の罪などで圧力を受けるなど次第に立場が弱まっていき、[[1992年]]にINPELを解散、ジョンソンは[[ナイジェリア]]へ亡命した(ジョンソンによるとナイジェリア軍に強制連行されたらしい)。その後、リベリア国内の不安定な情勢から完全に孤立し、[[1997年]]にナイジェリアで、[[ラゴス]]にて[[キリスト教]]の牧師になる事を明らかにした。牧師となったその後、ナイジェリアのキリスト教伝道師の預言者[[T・B・ジョシュア]]の仲介で、ジョンソンはドウ一家と和解している。

案内メニュー