「大興安嶺山脈」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし |
m編集の要約なし |
||
1行目: | 1行目: | ||
'''大ヒンガン嶺山脈'''(だい |
'''大ヒンガン嶺山脈'''(だいひんがんれいさんみゃく、[[中国語]][[簡体字]]:{{lang|zh|大兴安岭}} ''{{unicode|Dà Xīng'ān Lǐng}}''、[[満州語]]:{{Mongol|ᠠᠮᠪᠡ ᡭᠵᠩᡤ᠇ᠠ}} ''Amba Hinggan''、[[モンゴル語]]:{{Mongol|ᠢᠬ ᠬᠢᠩᠭᠠᠨ ᠳᠠᠪᠠᠭᠠᠨ}} {{Lang|mn-Cyrl|Их Хянган дабаа}}、大興安嶺山脈、大ヒンガンとも)は[[満洲]]・[[内モンゴル]]の火山山脈である。南北約1,200kmの長さに延びており、南に行くに従い狭くなっていく。東の満洲と西の[[モンゴル高原]]を分かつ。'''大ヒンガン'''。 |
||
深い森に被われ、1200~1300mの標高を持つ山脈の最高峰は2,035mになる。 |
深い森に被われ、1200~1300mの標高を持つ山脈の最高峰は2,035mになる。 |
||
[[満洲]]と[[シベリア]]の移行地帯にある[[ダウール族]]が住まう地域である。 |
|||
その斜面の比較的豊かな牧草地は[[10世紀]]に[[遼]]を打ち立てた[[契丹]]人の発祥地である。 |
[[満洲]]と[[シベリア]]の移行地帯にある[[ダウール族]]が住まう地域である。その斜面の比較的豊かな牧草地は[[10世紀]]に[[遼]]を打ち立てた[[契丹]]人の発祥地である。 |
||
== 写真 == |
== 写真 == |
||
10行目: | 9行目: | ||
== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
||
*[[小 |
*[[小ヒンガン嶺山脈]] |
||
*[[スタノヴォイ山脈]](外 |
*[[スタノヴォイ山脈]](外ヒンガン嶺山脈) |
||
*[[シホテアリニ山脈]](内 |
*[[シホテアリニ山脈]](内ヒンガン嶺山脈) |
||
== 参考文献 == |
== 参考文献 == |
||
*Mote, F.W. (1999). Imperial China: 900-1800. Harvard University Press. ISBN 0-674-01212-7. |
*Mote, F.W. (1999). Imperial China: 900-1800. Harvard University Press. ISBN 0-674-01212-7. |
||
{{DEFAULTSORT:たい |
{{DEFAULTSORT:たいひんかんれいさんみやく}} |
||
[[Category:満州の山地]] |
[[Category:満州の山地]] |
2012年5月24日 (木) 09:34時点における版
大ヒンガン嶺山脈(だいひんがんれいさんみゃく、中国語簡体字:大兴安岭 Dà Xīng'ān Lǐng、満州語:ᠠᠮᠪᠡ ᡭᠵᠩᡤ᠇ᠠ Amba Hinggan、モンゴル語:ᠢᠬ ᠬᠢᠩᠭᠠᠨ ᠳᠠᠪᠠᠭᠠᠨ Их Хянган дабаа、大興安嶺山脈、大ヒンガンとも)は満洲・内モンゴルの火山山脈である。南北約1,200kmの長さに延びており、南に行くに従い狭くなっていく。東の満洲と西のモンゴル高原を分かつ。大ヒンガン。
深い森に被われ、1200~1300mの標高を持つ山脈の最高峰は2,035mになる。
満洲とシベリアの移行地帯にあるダウール族が住まう地域である。その斜面の比較的豊かな牧草地は10世紀に遼を打ち立てた契丹人の発祥地である。
写真
関連項目
参考文献
- Mote, F.W. (1999). Imperial China: 900-1800. Harvard University Press. ISBN 0-674-01212-7.