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[[第一次世界大戦]]が始まると、パイオニアはオーストラリア西岸で1914年8月16日と8月26日にドイツ船を拿捕した。 |
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1914年11月1日、[[フリーマントル (西オーストラリア)|フリーマントル]]沖で護衛として兵員輸送船団に加わる。しかし、機関の故障のためパイオニアはフリーマントルに後退した。 |
1914年11月1日、[[フリーマントル (西オーストラリア州)|フリーマントル]]沖で護衛として兵員輸送船団に加わる。しかし、機関の故障のためパイオニアはフリーマントルに後退した。 |
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1915年1月9日、パイオニアはフリーマントルを出港しアフリカへ向かう。2月6日に[[ザンジバル]]に到着したパイオニアは、[[ドイツ領東アフリカ]]沖で封鎖任務に従事した。1915年7月には[[ルフィジ川]]河口に潜むドイツ巡洋艦[[ケーニヒスベルク (軽巡洋艦・初代)|ケーニヒスベルク]]攻撃に参加。また、1916年には[[ダルエスサラーム]]や[[タンガ (タンザニア)|タンガ]]砲撃も行った。 |
1915年1月9日、パイオニアはフリーマントルを出港しアフリカへ向かう。2月6日に[[ザンジバル]]に到着したパイオニアは、[[ドイツ領東アフリカ]]沖で封鎖任務に従事した。1915年7月には[[ルフィジ川]]河口に潜むドイツ巡洋艦[[ケーニヒスベルク (軽巡洋艦・初代)|ケーニヒスベルク]]攻撃に参加。また、1916年には[[ダルエスサラーム]]や[[タンガ (タンザニア)|タンガ]]砲撃も行った。 |
2011年7月12日 (火) 12:06時点における版
艦歴 | |
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発注 | アームストロング・エルジック造船所 |
起工 | 1897年12月16日 |
進水 | 1899年6月28日 |
就役 | 1900年7月10日 |
退役 | |
その後 | 1931年2月18日海没処分 |
性能諸元 | |
常備排水量 | :2,200トン |
全長 | 95.7m 91.5m(水線長) |
全幅 | 11.0m |
吃水 | 4.5m |
機関 | ノルマン・ソーニクロフト式石炭専焼水管缶8基 +直立型3段膨張式レシプロ機関2基2軸推進 |
最大出力 | 7,000hp |
最大速力 | 18.5ノット(公試時:20.5ノット) |
航続距離 | 19ノット/2,500海里(石炭:500トン) |
乗員 | 235名 |
兵装 | アームストロング Marks I 10.2cm(40口径)単装砲8基 オチキス 47mm機砲8基 マキシム機関銃3丁 45.7cm水中魚雷発射管単装2基 |
装甲 | 甲板:25~50mm(主甲板) 主砲坊盾:3.35mm(最厚部) 司令塔:76mm |
パイオニア (HMS Pioneer) は、1899年進水のイギリス海軍の防護巡洋艦ピローラス級の1隻。1913年からはオーストラリア海軍に移籍し「HMAS パイオニア(HMAS Pioneer)」となった。
艦歴
1897年12月16日起工。1899年6月28日進水。1900年1月23日竣工。1900年7月10日就役。
就役後、地中海に配備され、次いでオーストラリアに配備される。
1912年にオーストラリア海軍へ譲渡され、1913年3月1日にオーストラリア海軍で就役。
第一次世界大戦が始まると、パイオニアはオーストラリア西岸で1914年8月16日と8月26日にドイツ船を拿捕した。
1914年11月1日、フリーマントル沖で護衛として兵員輸送船団に加わる。しかし、機関の故障のためパイオニアはフリーマントルに後退した。
1915年1月9日、パイオニアはフリーマントルを出港しアフリカへ向かう。2月6日にザンジバルに到着したパイオニアは、ドイツ領東アフリカ沖で封鎖任務に従事した。1915年7月にはルフィジ川河口に潜むドイツ巡洋艦ケーニヒスベルク攻撃に参加。また、1916年にはダルエスサラームやタンガ砲撃も行った。
1916年8月22日、パイオニアはザンジバルを離れオーストラリアへ向かった。10月22日、シドニーに到着。
1916年11月7日退役。1931年2月18日、シドニー沖へ沈められた。