「田畑勝手作許可」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし
トホホ川 (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
1行目: 1行目:
'''田畑勝手作許可'''(んぱたかってさくきょか)とは、[[明治]]4年[[9月4日 (旧暦)|9月4日]]([[1871年]][[10月17日]])に出された[[大蔵省]][[達]]の通称。[[江戸幕府]]の[[田畑勝手作禁止令]]の廃止を趣旨とする。
'''田畑勝手作許可'''(んぱたかってさくきょか)とは、[[明治]]4年[[9月4日 (旧暦)|9月4日]]([[1871年]][[10月17日]])に出された[[大蔵省]][[達]]の通称。[[江戸幕府]]の[[田畑勝手作禁止令]]の廃止を趣旨とする。


[[江戸幕府]]は[[石高制]]と[[年貢]]の米納原則を維持するために田畑勝手作禁止令を出したものの、時代が下るにつれて商業作物の生産が広まり、形骸化していった。
[[江戸幕府]]は[[石高制]]と[[年貢]]の米納原則を維持するために田畑勝手作禁止令を出したものの、時代が下るにつれて商業作物の生産が広まり、形骸化していった。

2011年5月6日 (金) 08:10時点における版

田畑勝手作許可(でんぱたかってさくきょか)とは、明治4年9月4日1871年10月17日)に出された大蔵省の通称。江戸幕府田畑勝手作禁止令の廃止を趣旨とする。

江戸幕府石高制年貢の米納原則を維持するために田畑勝手作禁止令を出したものの、時代が下るにつれて商業作物の生産が広まり、形骸化していった。

明治政府は輸送手段が発達したことや、年貢の石代納を認めたことを理由に、田畑勝手作禁止令を撤廃して農民がそれぞれの土地に適した農産物を生産することを奨励した。これは農民の生産意欲の向上とともに、政府への租税収入の安定・増加を図るとともに、計画されていた地租改正にともなう租税の金納化に備えた措置でもあった。これに続いて翌年には田畑永代売買禁止令を廃止する地所永代売買解禁が出されている。

参考文献

  • 近藤哲生「田畑勝手作許可」(『日本歴史大事典 2』(小学館、2000年)ISBN 978-4-09-523002-3