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'''日祐'''(にちゆう)は、1298年(永仁6年) - 1374年77日(応安7年5月19日)没、[[鎌倉時代]]の[[日蓮宗]]の[[僧]]。[[千葉宗胤]]の[[猶子]]<ref>正東山古文書</ref>。[[下総国]]の出身。号は浄行院。
'''日祐'''(にちゆう、[[1298年]][[永仁]]6年) - [[1374年]][[629]][[文中]]3年/[[応安]]7年[[5月19日 (旧暦)|5月19日]]))は、[[鎌倉時代]]の[[日蓮宗]]の[[僧]]。[[千葉宗胤]]の[[猶子]]<ref>正東山古文書</ref>。[[下総国]]の出身。号は浄行院。


== 概要 ==
== 概要 ==

2011年1月20日 (木) 14:40時点における版

日祐(にちゆう、1298年永仁6年) - 1374年6月29日文中3年/応安7年5月19日))は、鎌倉時代日蓮宗千葉宗胤猶子[1]下総国の出身。号は浄行院。

概要

日祐は17歳で中山本妙寺(現在の中山法華経寺)3世となった。千葉胤貞外護を受けて、日本寺をはじめ、千田荘八幡荘臼井荘の各地に寺院を建立する[2]。墓所は中山法華経寺

脚注

  1. ^ 正東山古文書
  2. ^ 千葉胤貞譲状