「アンナ・マクダレーナ・バッハ」の版間の差分

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'''アンナ・マクダレーナ(マグダレーナ)・バッハ''' (Anna Magdalena Bach, [[1701年]][[9月22日]] - [[1760年]][[2月22日]]または[[2月27日]] [[ライプツィヒ]]、旧姓ヴィルケ''Wilcke'' )は、[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ]]の後妻で、[[ドイツ]]の[[声楽家]]。[[ザクセン=ヴァイセンフェルス]]公の宮廷トランペット奏者、ヨハン・カスパール・ヴィルケの末子としてツァイツに生れる。母マルガレータ・エリザベートは、[[オルガニスト]]の娘であった。アンナ・マクダレーナ・バッハの名は、三つのかたちでこんにち伝えられている。一つは、曲集《アンナ・マクダレーナ・バッハの音楽帳》、後世に創作された『アンナ・マクダレーナ・バッハの日記』(邦訳:アンナ・マグダレーナ・バッハ『バッハの思い出』)、そして映画「アンナ・マクダレーナ・バッハの年代記」である
 
彼女の名は三つのかたちでこんにち伝えられている。一つは、曲集《アンナ・マクダレーナ・バッハの音楽帳》、後世に創作された『アンナ・マクダレーナ・バッハの日記』(邦訳:アンナ・マグダレーナ・バッハ『バッハの思い出』)、そして映画「アンナ・マクダレーナ・バッハの年代記」である。
 
== 生涯 ==
[[ザクセン=ヴァイセンフェルス]]公の宮廷トランペット奏者、ヨハン・カスパール・ヴィルケの末子としてツァイツに生れる。母マルガレータ・エリザベートは、[[オルガニスト]]の娘であった。
 
1720年には、[[レーオポルト (アンハルト=ケーテン侯)|アンハルト=ケーテン侯レーオポルト]]の宮廷[[ソプラノ]]歌手として[[ケーテン]]では有名だった。同地で1717年より宮廷楽長を務める[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ]]と知り合いとなるが、ヴィルケ家とバッハ家は、音楽家同士として早くから交流があった可能性が高い。1721年12月3日に結婚した。

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