「アンドリアン・ニコラエフ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
YukkeBot (会話 | 投稿記録)
m ロボットによる 追加: gl:Andrián Grigórievich Nikoláyev
編集の要約なし
3行目: 3行目:


==概要==
==概要==
ニコラエフは[[ボストーク3号]]と[[ソユーズ9号]]で2度の宇宙飛行を行った。これらの飛行での彼の[[コールサイン]]はファルコン([[ロシア語]]:Со́кол)だった。両方の飛行で、彼は人間が軌道上にいる時間の最高記録を更新した。彼はまた、[[ボストーク2号]]と[[ソユーズ8号]]ではバックアップを務めた。1969年1月22日、ニコラエフは[[ソビエト連邦軍]]の大尉[[ヴィクトル・イリーイン]]が[[レオニード・ブレジネフ]]を狙った暗殺事件から生き延びた。
ニコラエフは[[ボストーク3号]]と[[ソユーズ9号]]で2度の宇宙飛行を行った。これらの飛行での彼の[[コールサイン]]はファルコン([[ロシア語]]:Со́кол)だった。両方の飛行で、彼は人間が軌道上にいる時間の最高記録を更新した。彼はまた、[[ボストーク2号]]と[[ソユーズ8号]]ではバックアップを務めた。1969年1月22日、ニコラエフは[[ソビエト連邦軍]]の大尉[[ヴィクトル・イリーイン]]が[[レオニード・ブレジネフ]]を狙った暗殺事件から生き延びた。


ニコラエフは、1962年8月に宇宙から初めてテレビ放送を行った人物でもある。ボストーク3号では、[[ボストーク4号]]の[[パベル・ポポビッチ]]とともに初めてデュアルフライトを行った。
ニコラエフは、1962年8月に宇宙から初めてテレビ放送を行った人物でもある。[[ボストーク3号]]では、[[ボストーク4号]]の[[パベル・ポポビッチ]]とともに初めてデュアルフライトを行った。


宇宙飛行の初期には、養成中の宇宙飛行士を独房に入れて、どれだけ長い間孤独に耐えられるかを見ることが普通に行われた。多くの者が精神に異常をきたしたが、ニコラエフだけは最長の4日間を耐え抜き、鉄人として知られるようになった。
宇宙飛行の初期には、養成中の宇宙飛行士を独房に入れて、どれだけ長い間孤独に耐えられるかを見ることが普通に行われた。多くの者が精神に異常をきたしたが、ニコラエフだけは最長の4日間を耐え抜き、鉄人として知られるようになった。

2009年6月24日 (水) 07:53時点における版

アンドリアン・ニコラエフ

アンドリアン・グリゴリビッチ・ニコラエフ(Andriyan Grigoryevich Nikolayev、チュヴァシ語:Андриян Григорьевич Николаев、1929年9月5日-2004年7月3日)はソビエト連邦チュヴァシ人宇宙飛行士

概要

ニコラエフはボストーク3号ソユーズ9号で2度の宇宙飛行を行った。これらの飛行での彼のコールサインはファルコン(ロシア語:Со́кол)だった。両方の飛行で、彼は人間が軌道上にいる時間の最高記録を更新した。彼はまた、ボストーク2号ソユーズ8号ではバックアップを務めた。1969年1月22日、ニコラエフはソビエト連邦軍の大尉ヴィクトル・イリーインレオニード・ブレジネフを狙った暗殺事件から生き延びた。

ニコラエフは、1962年8月に宇宙から初めてテレビ放送を行った人物でもある。ボストーク3号では、ボストーク4号パベル・ポポビッチとともに初めてデュアルフライトを行った。

宇宙飛行の初期には、養成中の宇宙飛行士を独房に入れて、どれだけ長い間孤独に耐えられるかを見ることが普通に行われた。多くの者が精神に異常をきたしたが、ニコラエフだけは最長の4日間を耐え抜き、鉄人として知られるようになった。

1963年11月3日、彼はボストーク6号で女性として初めて宇宙を訪れたワレンチナ・テレシコワと結婚した。彼らは現在は医学博士の一人娘エレナを設け、1982年に離婚した。

ニコラエフは2度のソ連邦英雄レーニン勲章のほか、様々なメダルや外国の勲章を受章している。クレーターニコラエフには、彼の名前が付けられている。

2004年、ニコラエフはチュヴァシ共和国の首都チェボクサル心筋梗塞のために死去したが、後にスキャンダルが起こった。モスクワに住む彼の娘はスターシティの墓地に埋葬されることを希望したが、チュヴァシ共和国大統領ニコライ・フョードロフは彼の葬儀後、出身地のShorshelyに埋葬してしまった。しかしチュヴァシ共和国には肉親は誰も住んでおらず、スターシティに遺骨を移す計画が進行中である。