「サームプラヤー」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
あなん (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
あなん (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
4行目: 4行目:
title = [[ボーロマラーチャーティラート]]2世(สมเด็จเจ้าพระยาบรมราชาธิราชที่ ๒)|
title = [[ボーロマラーチャーティラート]]2世(สมเด็จเจ้าพระยาบรมราชาธิราชที่ ๒)|
dynasty = [[アユタヤ王朝]]8代目|
dynasty = [[アユタヤ王朝]]8代目|
family = [[ロッブリー家]]|
area = 現在の[[タイ国]]・[[アユタヤ]]を中心とする地域|
birth = |
birth = |
reign = [[1424年]] - [[1448年]]|
reign = [[1424年]] - [[1448年]]|
alt_name =
alt_name =
}}
}}
'''サームプラヤー王'''は[[タイ王国|タイ]]の[[アユタヤ王朝]]の王の一人。父である[[ナカリンタラーティラート]]王が死んだ時、の兄弟三人が争った中の一人がサームプラヤーであった。後に、[[アンコール・トム]]を攻略し、[[クメール王朝|クメール]]からクメール官吏を捕虜として連れて来た。それにより、[[バラモン教]]の文化面がアユタヤ王朝に入り込み、[[サックディナー制度]]と呼ばれる[[封建制度]]に似たシステムを導入したり、親である王が、子である国民と友好的な国作りをするという''親子疑似体制''に代わって、王は神であるとするバラモン的な'''[[デヴァラージャ|神王思想]]'''を導入したり、宮中儀式をバラモン風に改めたりした。後に、'''神王思想'''は[[王語(タイ)|王語]]を生み出したりもした。特にサックディナー制度は以降、[[タイの王朝]]の基本的体制となる。この王の時代[[スコータイ王朝]]は完全に、[[アユタヤー王朝]]の支配下に入った。
'''サームプラヤー王'''は[[タイ王国|タイ]]の[[アユタヤ王朝]]の王の一人。父である[[ナカリンタラーティラート]]王が崩御した時、兄でありスパンブリー国主であったアイプラヤーと同じくでありプレークシーラーチャーの国主であったイープラヤーと王位を争ったが、上兄二人が相打ちして死亡したのでサームプラヤーが王位に就くことになった。
後に、[[アンコール・トム]]を攻略し、[[クメール王朝|クメール]]からクメール官吏を捕虜として連れて来た。それにより、[[バラモン教]]の文化面がアユタヤ王朝に入り込み、[[サックディナー制度]]と呼ばれる[[封建制度]]に似たシステムを導入したり、親である王が、子である国民と友好的な国作りをするという''[[ポークン]]思想''に代わって、王は神であるとするバラモン的な'''[[デヴァラージャ|神王思想]]'''を導入したり、宮中儀式をバラモン風に改めたりした。後に、この神王思想は[[ラーチャサップ|王語]]を生み出したりもした。特にサックディナー制度は以降、[[タイの王朝]]の基本的体制となる。この王の時代[[スコータイ王朝]]は完全に、[[アユタヤー王朝]]の支配下に入った。


==関連項目==
==関連項目==
18行目: 20行目:
<table width="75%" border="0" align="center"><tr><td width="35%" align="center" style="border: 1px solid #aaaaaa; background: #ffffff;" >先代:<br>'''[[ナカリンタラーティラート]]'''</td>
<table width="75%" border="0" align="center"><tr><td width="35%" align="center" style="border: 1px solid #aaaaaa; background: #ffffff;" >先代:<br>'''[[ナカリンタラーティラート]]'''</td>
<td width="30%" align="center" style="border: 1px solid #aaaaaa; background: #ffffff;" >[[アユタヤ王朝]]</td>
<td width="30%" align="center" style="border: 1px solid #aaaaaa; background: #ffffff;" >[[アユタヤ王朝]]</td>
<td width="35%" align="center" style="border: 1px solid #aaaaaa; background: #ffffff;" >次代:<br>[[ボーロマトライローカナート]]</td></tr></table>
<td width="35%" align="center" style="border: 1px solid #aaaaaa; background: #ffffff;" >次代:<br>'''[[ボーロマトライローカナート]]'''</td></tr></table>


[[category:タイ人|さむふらや]][[category:タイ君主|さむふらや]]
[[category:タイ人|さむふらや]][[category:タイ君主|さむふらや]]

2005年2月27日 (日) 08:32時点における版

サームプラヤー
เจ้าสามพระยา
ボーロマラーチャーティラート2世(สมเด็จเจ้าพระยาบรมราชาธิราชที่ ๒)
在位 1424年 - 1448年
全名 サームプラヤー
王朝 アユタヤ王朝8代目
家系 ロッブリー家
テンプレートを表示

サームプラヤー王タイアユタヤ王朝の王の一人。父であるナカリンタラーティラート王が崩御した時、兄でありスパンブリーの国主であったアイプラヤーと同じく兄でありプレークシーラーチャーの国主であったイープラヤーと王位を争ったが、上の兄二人が相打ちして死亡したのでサームプラヤーが王位に就くことになった。

後に、アンコール・トムを攻略し、クメールからクメール官吏を捕虜として連れて来た。それにより、バラモン教の文化面がアユタヤ王朝に入り込み、サックディナー制度と呼ばれる封建制度に似たシステムを導入したり、親である王が、子である国民と友好的な国作りをするというポークン思想に代わって、王は神であるとするバラモン的な神王思想を導入したり、宮中儀式をバラモン風に改めたりした。後に、この神王思想は王語を生み出したりもした。特にサックディナー制度は以降、タイの王朝の基本的体制となる。この王の時代スコータイ王朝は完全に、アユタヤー王朝の支配下に入った。

関連項目


先代:
ナカリンタラーティラート
アユタヤ王朝 次代:
ボーロマトライローカナート