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バイエルンとバーデンは1915年に進水し、[[ユトランド沖海戦]]には間に合わず実戦参加は僅かであった。バイエルンは[[アルビオン作戦]]中の1917年10月12日に[[リガ湾]]で触雷し破損した。バイエルンは大きく氾濫し、19日後にようやく[[キール (都市)|キール]]に帰還した。休戦が成立すると、バイエルンとバーデンは[[スカパ・フロー]]に回航され、バイエルンは1919年6月21日に他の多くの艦と共に自沈した。バーデンは曳船によって浅瀬に着底され、沈没を免れた。その後1921年8月に[[イギリス海軍]]により標的艦として沈められた。
バイエルンとバーデンは1915年に進水し、[[ユトランド沖海戦]]には間に合わず実戦参加は僅かであった。バイエルンは[[アルビオン作戦]]中の1917年10月12日に[[リガ湾]]で触雷し破損した。バイエルンは大きく氾濫し、19日後にようやく[[キール (都市)|キール]]に帰還した。休戦が成立すると、バイエルンとバーデンは[[スカパ・フロー]]に回航され、バイエルンは1919年6月21日に他の多くの艦と共に自沈した。バーデンは曳船によって浅瀬に着底され、沈没を免れた。その後1921年8月に[[イギリス海軍]]により標的艦として沈められた。


バイエルン級の基本設計は20年後に[[ビスマルク級戦艦|ビスマルク級]]に引き継がれた。バイエルン級とビスマルク級の唯一の類似点は、連装主砲塔4基の配置る。
バイエルン級の基本設計は20年後に[[ビスマルク級戦艦|ビスマルク級]]に引き継がれており、艦内構成特に防御要綱に顕著な類似性を確認る。


== 同型艦 ==
== 同型艦 ==

2008年9月14日 (日) 10:16時点における版

バイエルン級戦艦
バーデン
艦級概観
艦種 戦艦
艦名 地方名
前級 ケーニヒ級戦艦
次級 -
性能諸元
排水量 満載 32,200 トン
全長 180.0 m
179.4 m(水線長)
全幅 30.0 m
吃水 9.39 m
機関 ギアード・タービン3軸推進、14缶、55,967 shp
最大速力 22.0ノット (40.7 km/h)
航続距離 5,000海里 / 12ノット時 (22 km/h)
乗員 1,187名 - 1,271名
兵装 38cm(45口径)砲連装4基
15cm(45口径)砲単装16基
8.8cm(45口径)砲単装8~10基
24インチ(60cm)水中魚雷発射管単装5門
装甲 装甲帯 120mm - 350mm
司令塔 400mm
甲板 30mm
砲塔 100mm - 350mm

バイエルン級戦艦 (Bayern - Klasse) は、ドイツ海軍戦艦第一次世界大戦に参加した最後の艦級であった。

設計

本級の排水量は32,000トンにおよび、主砲は38cm(15インチ)砲を連装砲塔に収め、4基を装備、副砲は甲板下の舷側部分にケースメイト配置で左右8門ずつ装着された。本級は同時期に開発中であったイギリス海軍の15インチ砲装備の戦艦に匹敵した。しかしながら本級の主砲は軽量の砲弾を使用したため、射程は大きいもののその威力では劣るものであった。また、戦時中のドイツは重油の安定した供給を得ることができず、本級は石炭混焼缶を使用したため低速に苦しめられた。

バーデンは1912年末、残る艦は1913年に起工した。ザクセンとヴュルテンベルクは進水したものの第一次世界大戦の終了までに完成せず、1920年から21年に建造所で解体された。

バイエルンとバーデンは1915年に進水し、ユトランド沖海戦には間に合わず実戦参加は僅かであった。バイエルンはアルビオン作戦中の1917年10月12日にリガ湾で触雷し破損した。バイエルンは大きく氾濫し、19日後にようやくキールに帰還した。休戦が成立すると、バイエルンとバーデンはスカパ・フローに回航され、バイエルンは1919年6月21日に他の多くの艦と共に自沈した。バーデンは曳船によって浅瀬に着底され、沈没を免れた。その後1921年8月にイギリス海軍により標的艦として沈められた。

バイエルン級の基本設計は20年後にビスマルク級に引き継がれており、艦内構成特に防御要綱に顕著な類似性を確認できる。

同型艦

関連項目

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