「レイモンド・ローウィ」の版間の差分

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== 人物 ==
[[1893年]]、パリで生まれる。始めは電気工学を学んだ。第一次世界大戦後の1919年にニューヨークへ渡り、メイシー百貨店などの店舗装飾や[[ハーパース・バザー]]誌でファッション・イラストレーション、グラフィックなどの仕事を始めた。
[[1893年]]、パリで生まれる。始めは電気工学を学んだ。第一次世界大戦後の1919年にニューヨークへ渡り、メイシー百貨店などの店舗装飾や[[ハーパース・バザー]]誌でファッション・イラストレーション、グラフィックなどの仕事を始めた。<br>1920年代半ばにデザインを請け負う事務所を開設する。<br>1929年、ジグムント・ゲシュテットナー社の複写機のデザインを手がけ、これが評判になり大きく売り上げを伸ばした。それまでの複写機はむき出しの機械であったが、カバーを取り付け機能的な外観デザインにまとめたことで、工業製品におけるインダストリアル・デザインの重要性が注目を集めた。<br>1934年、ペンシルヴァニア鉄道の電気機関車[[ペンシルベニア鉄道GG1形電気機関車|GG1]]を[[風洞実験]]の結果、かろやかな流線型にリ・デザインする。この流線型デザインは力学的な形態の倫理により発見、設計され、以後、自動車など速度を要求される対象に採用される時代が始まった。速度、進歩、現代性などの表現として、様々なデザインにも引用される様になった。このような形状は時代の流行となり、当時の[[アール・デコ]]スタイル装飾に用いられるなど主要なモチーフにもなった。デザインが流行として消費され、陳腐化させられる時代の到来でもあった。1938年、アメリカ市民権を取得し140社もの企業のデザイン・コンサルタントをつとめた。
1920年代半ばにデザインを請け負う事務所を開設する。
 
1929年、ジグムント・ゲシュテットナー社の複写機のデザインを手がけ、これが評判になり大きく売り上げを伸ばした。それまでの複写機はむき出しの機械であったが、カバーを取り付け機能的な外観デザインにまとめたことで、工業製品におけるインダストリアル・デザインの重要性が注目を集めた。
 
[[1893年]]、パリで生まれる。始めは電気工学を学んだ。第一次世界大戦後の1919年にニューヨークへ渡り、メイシー百貨店などの店舗装飾や[[ハーパース・バザー]]誌でファッション・イラストレーション、グラフィックなどの仕事を始めた。<br>1920年代半ばにデザインを請け負う事務所を開設する。<br>1929年、ジグムント・ゲシュテットナー社の複写機のデザインを手がけ、これが評判になり大きく売り上げを伸ばした。それまでの複写機はむき出しの機械であったが、カバーを取り付け機能的な外観デザインにまとめたことで、工業製品におけるインダストリアル・デザインの重要性が注目を集めた。<br>1934年、ペンシルヴァニア鉄道の電気機関車[[ペンシルベニア鉄道GG1形電気機関車|GG1]]を[[風洞実験]]の結果、かろやかな[[流線型]]にリ・デザインする。この流線型デザインは力学的な形態の倫理により発見、設計され、以後、自動車など速度を要求される対象に採用される時代が始まった。速度、進歩、現代性などの表現として、様々なデザインにも引用される様になった。このような形状('''[[ストリームライン・モダン]]''')は時代の流行となり、当時の[[アール・デコ]]スタイル装飾に用いられるなど主要なモチーフにもなった。デザインが流行として消費され、陳腐化させられる時代の到来でもあった。1938年、アメリカ市民権を取得し140社もの企業のデザイン・コンサルタントをつとめた。
 
== MAYA段階 ==
== 外部リンク ==
*[http://www.raymondloewyfoundation.com/ ローウィ財団](日本語版あり)
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[[Category:インダストリアルデザイナー|ろういれいもんと]]
[[Category:アメリカ合衆国帰化市民|ろういれいもんと]]
[[Category:1893年生|ろういれいもんと]]
[[Category:1986年没|ろういれいもんと]]
 
[[ca:Raymond Loewy]]

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