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崇高について初めて論じたのは[[ロンギヌス]]であるとされる。フランスで[[ニコラ・ボアロー=デプレオー|ボワロー]]が1674年に伝[[ロンギノス]]『崇高について』を翻訳したことから注目され、[[詩学]]の中心概念のひとつとなった。 |
崇高について初めて論じたのは[[ロンギヌス]]であるとされる。フランスで[[ニコラ・ボアロー=デプレオー|ボワロー]]が1674年に伝[[ロンギノス]]『崇高について』を翻訳したことから注目され、[[詩学]]の中心概念のひとつとなった。 |
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18世紀になるとアイルランドの[[エドマンド・バーク]](1756年の『崇高と美の観念の起源』)、ドイツの[[イマヌエル・カント]](1764年の『美と崇高の感情に関する観察』)が崇高を主題的に論じた。両者の場合、崇高と美が対立するものとみなしている。 |
18世紀になるとアイルランドの[[エドマンド・バーク]](1756年の『崇高と美の観念の起源』)、ドイツの[[イマヌエル・カント]](1764年の『美と崇高の感情に関する観察』;『判断力批判』)が崇高を主題的に論じた。両者の場合、崇高と美が対立するものであるとみなして、崇高の側に与している。その後はむしろ崇高を美の一種とみなす傾向がある。 |
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その後はむしろ崇高を美の一種とみなす傾向がある。 |
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19世紀のロマン主義以降は崇高はあまり注目されなくなった。[[リヒャルト・ワーグナー]]はベートーベン論『ドイツ音楽の精神』において、自己の音楽とベートーベンの音楽を、美に崇高が優越するそれだとしているが例外的であった。しかし、[[フランソワ・リオタール]]の1994年の著書『崇高論』で取り上げるなど再び議論されつつある。 |
19世紀のロマン主義以降は崇高はあまり注目されなくなった。[[リヒャルト・ワーグナー]]はベートーベン論『ドイツ音楽の精神』において、自己の音楽とベートーベンの音楽を、美に崇高が優越するそれだとしているが例外的であった。しかし、[[フランソワ・リオタール]]の1994年の著書『崇高論』で取り上げるなど再び議論されつつある。 |
2008年5月23日 (金) 07:24時点における版
崇高(すうこう)とは美的範疇であり、巨大なもの、勇壮なものに対したとき対象に対して抱く感情また心的イメージをいう美学上の概念である。計算、測定、模倣の不可能な、何にも比較できない偉大さを指し、自然やその広大さについていわれることが多い。
崇高について初めて論じたのはロンギヌスであるとされる。フランスでボワローが1674年に伝ロンギノス『崇高について』を翻訳したことから注目され、詩学の中心概念のひとつとなった。
18世紀になるとアイルランドのエドマンド・バーク(1756年の『崇高と美の観念の起源』)、ドイツのイマヌエル・カント(1764年の『美と崇高の感情に関する観察』;『判断力批判』)が崇高を主題的に論じた。両者の場合、崇高と美が対立するものであるとみなして、崇高の側に与している。その後はむしろ崇高を美の一種とみなす傾向がある。
19世紀のロマン主義以降は崇高はあまり注目されなくなった。リヒャルト・ワーグナーはベートーベン論『ドイツ音楽の精神』において、自己の音楽とベートーベンの音楽を、美に崇高が優越するそれだとしているが例外的であった。しかし、フランソワ・リオタールの1994年の著書『崇高論』で取り上げるなど再び議論されつつある。