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'''崇高'''(すうこう)とは[[美]]に対照させられる美的範疇であり、巨大なもの、勇壮なものに対したとき対象に対して抱く[[感情]]また心的イメージをいう[[美学]]上の[[概念]]である。
'''崇高'''(すうこう)とは[[美]]に対照させられる美的範疇であり、巨大なもの、勇壮なものに対したとき対象に対して抱く[[感情]]また心的イメージをいう[[美学]]上の[[概念]]である。
[[ボワロー]]が伝[[ロンギノス]]の『崇高について』を訳したことから注目され、[[詩学]]の中心概念のひとつとなった。[[エドマンド・バーク]]、[[イマヌエル・カント]]などが主題的に論じたのちは、あまり注目されなくなったが、近年[[リオタール]]が取り上げて再び議論された。
[[ボワロー]]が伝[[ロンギノス]]の『崇高について』を訳したことから注目され、[[詩学]]の中心概念のひとつとなった。[[エドマンド・バーク]]、[[イマヌエル・カント]]などが主題的に論じたのちは、あまり注目されなくなったが、近年[[フランソワ・リオタール]]が取り上げて再び議論された。
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2005年1月15日 (土) 08:27時点における版

崇高(すうこう)とはに対照させられる美的範疇であり、巨大なもの、勇壮なものに対したとき対象に対して抱く感情また心的イメージをいう美学上の概念である。 ボワローが伝ロンギノスの『崇高について』を訳したことから注目され、詩学の中心概念のひとつとなった。エドマンド・バークイマヌエル・カントなどが主題的に論じたのちは、あまり注目されなくなったが、近年フランソワ・リオタールが取り上げて再び議論された。