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2007年8月25日 (土) 10:18時点における版
ゴルディアヌス2世(Gordianus II、192年 – 238年4月12日)は軍人皇帝時代のローマ皇帝。正式名称は「マルクス・アントニウス・ゴルディアヌス・センプロニアヌス・ロマヌス・アフリカヌス(Marcus Antonius Gordianus Sempronianus Romanus Africanus)」と呼ぶ。238年のみの在位であった。
ゴルディアヌス2世はゴルディアヌス1世の息子になり、両者が共同統治として同時に皇帝になったので区別をするためにこう呼ばれる。母親は哲学者ヘロデ・アッティクスの娘であったと言う。妹に後の皇帝ゴルディアヌス3世の母親アントニア・ゴルディアナがいる。
早期のゴルディアヌス2世の記録は記述のみで史的確証がない。彼の死後、ゴルディアヌスを懐かしく思う元老院議員たちがよい部分のみ残したからで、信用性に足りるとは必ずしも言えない。それによるとエラガバルスの治世の時にクァエストルを勤め、アレクサンデル・セウェルスの治世の際にはプラエトルと補欠執政官を勤めたらしい。237年から父親の命でアフリカ属州の総督となった。
235年下ゲルマニア属州にてアレクサンデル・セウェルスが殺害される。首謀者はマクシミヌス・トラクスで元老院の消極的な態度にも関わらずすぐに軍団より皇帝に擁立された。そして地方の圧力を受けた父親ゴルディアヌス1世は238年マクシミヌスに兵を挙げ、3月22日元老院よりアウグストゥスの称号を受ける。登位の際に高齢のゴルディアヌス1世は息子であるゴルディアヌス2世を共同皇帝として指名、同時に帝位に就いた。マクシミヌスの不人気さのために元老院や属州の多くから支持はされたと言う。
しかしながらゴルディアヌス父子への不信任は南方ヌミディアから来た。属州総督カペリアヌスはマクシミヌスの支持者で、マクシミヌスと同盟を結んだカペリアヌスは手持ちの第3軍団アウグスタを率いてゴルディアヌス2世のいるアフリカ属州に進攻、迎え撃つも敗れ238年の末にゴルデュアヌス2世は戦死した。