「岩手県議会靖国神社訴訟」の版間の差分

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== 岩手県内の評価 ==
== 岩手県内の評価 ==
岩手県は先人教育と呼ばれる愛国心教育が盛んなところであり、原敬が総理大臣となって戊辰戦争を「政見の異同のみ」と総括したこともあり、戊辰戦争の指導者たちが今も深い尊敬を集めている。ところが、この裁判を通して靖国神社が実は戊辰戦争の招魂社であることが知れ渡り、中央への歴史的な反発の感情もあって判決は当然視されている。また、県内保守派の人々の間に靖国神社への嫌悪感が広がったが、全国的には保守派は無批判に靖国神社参拝を求めており、県内保守派は矛盾に直面したまま現在を迎えている。特に平成16年、盛岡南部家当主南部利昭が靖国神社の宮司に就任した際は、保守派の中からも宮司就任を祝う声が高まらず、地元メディアもほとんどこれを無視した。
岩手県は先人教育と呼ばれる[[愛国心]][[教育]]が盛んなところであり、[[原敬]][[総理大臣]]となって[[戊辰戦争]]を「政見の異同のみ」と総括したこともあり、戊辰戦争の指導者たちが今も深い尊敬を集めている。ところが、この裁判を通して靖国神社が実は戊辰戦争の[[招魂社]]であることが知れ渡り、中央への歴史的な反発の感情もあって判決は当然視されている。また、県内保守派の人々の間に靖国神社への嫌悪感が広がったが、全国的には保守派は無批判に靖国神社参拝を求めており、県内保守派は矛盾に直面したまま現在を迎えている。
特に[[2004]]に現在の盛岡南部家当主である[[南部利昭]]が靖国神社の宮司に就任した際は、保守派の中からも宮司就任を祝う声が高まらず、地元メディアもほとんどこれを無視した。


[[Category:靖国問題|いわてけんきかいやすくにしんしやそしよう]]
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2007年7月11日 (水) 15:54時点における版

岩手県議会靖国神社訴訟(いわてけんぎかいやすくにじんじゃさんぱい)とは、1979年12月19日岩手県議会が内閣総理大臣(当時は大平正芳)宛に靖国神社へ公式参拝を実現させるようにと決議した事に対して、住民団体が、この決議が日本国憲法が定める政教分離の原則に反するとして、政府に対する陳情書に要した印刷代・用紙代・旅費を県当局に返還せよと求めた訴訟である。

また、訴訟の途中において岩手県が1962年から靖国神社からの要請で毎年、玉串料や献灯料を支出していたことが発覚したため、その公費も合わせて返還する訴訟もあわせてひとつの事件として審議された。

1審判決

盛岡地裁は、1987年3月5日に、「公人と私人とは不可分であり、内閣総理大臣等は私人として思想及び良心、信教の自由を有し、かつまた政治的中立を要求されない公人たる政治家として、自己の信念に従って行動しうる」として、私人の行動までも公人であることを理由に制限することはできないとして、首相が公式参拝するしないも個人の自由であるから、許容できるとした。

また岩手県の玉串料の支出は「戦没者への儀礼」として、いずれも合憲の判断を示し、住民らの訴えを全面的に退けた。

しかしながら、岩手県議会の行動が問われているにもかかわらず、首相の私人としての権利(いわゆる信教の自由)を持ち出して退けており、問題のある判決ともいえる。

2審判決

1991年1月10日仙台高等裁判所は異例の判決を出した。この判決は主文で住民からの請求を棄却する原告敗訴であったが、判決文のなかで「首相らの公式参拝は、靖国神社に祭神に対する畏敬崇拝の意を表す宗教的行為であり、国が靖国神社に優越的地位を与えているとの印象を社会一般に与え、政教分離の原則に照らし相当とされる限度を越えている。また玉ぐし料についても、波及効果などを考えると県の非宗教性、中立性を損なう恐れがある。」とした。

そのため首相が公式参拝するのは、国家体制が他の宗教団体に比して靖国神社を特別視しているとの認識を国民に与えるため、不適切であるとした。また県による玉串料支出は、公的機関が宗教団体へ公金を支出する際の合憲違憲の判断基準である「目的効果基準」からすれば、宗教活動に深く関与するものとしていずれも違憲行為であると判決した。

最高裁への上告

岩手県当局は形式上訴訟では勝訴していたが、県の行為が判決文で違憲と判断されたことを不服として上告した。一度は仙台高裁で上告を理由が無いとして棄却されたが、最高裁に判断してもらうために特別抗告した。

最高裁第二小法廷は1991年9月に「特別抗告は決定や命令に憲法解釈の誤りや違憲がある場合に限られる」とした民事訴訟法419条ノ2を根拠に「抗告の理由がない」として抗告を却下した。

この決定により靖国神社公式参拝及び玉ぐし料の公費支出は違憲であるとの判断が確定したが、最高裁は民事訴訟法の法解釈によって抗告を却下したため、政教分離に違反するか否かの判断をしたわけではない。

判決の影響

その後の靖国神社を巡る訴訟において最高裁が判断しなかったため、首相が靖国神社を公式参拝するのが、違憲か否かの判断は分かれることとなった。ただし、請求を棄却しておきながら違憲判断を出す形式はいくつか見られるようになった。なお、首相の公式参拝を合憲として肯定する判決は皆無である。

なお、県当局による玉串料支出であるが1997年に最高裁は「愛媛県玉串訴訟」において違憲判決を出したため、政教分離に違反するとの判例が出された。

また、憲法学の通説によれば首相が特定の神社に公式参拝すれば政教分離に反するとされる。そのため、毎年執り行う伊勢神宮への公式参拝は違憲であるともいえるが、信教の自由への侵害や特定の宗教団体の宗教的活動に対する援助などの現実の損害が無ければ政教分離を問えないとされる。

そのため、靖国神社への公式参拝が宗教団体の援助の性格が強く、また国家運営に対して支障をきたすような事態になれば政教分離違反の可能性があるといえる。

岩手県内の評価

岩手県は先人教育と呼ばれる愛国心教育が盛んなところであり、原敬総理大臣となって戊辰戦争を「政見の異同のみ」と総括したこともあり、戊辰戦争の指導者たちが今も深い尊敬を集めている。ところが、この裁判を通して靖国神社が実は戊辰戦争の招魂社であることが知れ渡り、中央への歴史的な反発の感情もあって判決は当然視されている。また、県内保守派の人々の間に靖国神社への嫌悪感が広がったが、全国的には保守派は無批判に靖国神社参拝を求めており、県内保守派は矛盾に直面したまま現在を迎えている。

特に2004年に、現在の盛岡南部家当主である南部利昭が靖国神社の宮司に就任した際は、保守派の中からも宮司就任を祝う声が高まらず、地元メディアもほとんどこれを無視した。