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*金星 3個(玉錦・武蔵山・男女ノ川から各1)
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2007年2月24日 (土) 07:47時点における版

大潮清治郎(おおしお せいじろう、1900年8月11日 - 1979年3月29日)は、昭和初期の大相撲力士である。福岡県大川市出身。

陸奥部屋に入門、1919年1月場所に初土俵をふむ。入門も遅かったこともあって、昇進もゆっくりで、新十両が1928年3月、新入幕は1932年1月場所で、すでに30歳を超えていた。その新入幕の場所に春秋園事件が起こり、多くの力士が脱退したが、彼は残留し、その結果いきなり幕内上位に進出することになった。そこでもよく健闘し、5月には小結に昇進した。その後、関脇に達し、右四つからの寄り相撲で長く上位で活躍し、1941年5月限りで現役を退いたが、その時は40歳を過ぎていた。

現役中の1937年から二枚鑑札で年寄陸奥を襲名し、陸奥部屋を率いて、若潮芳雄を幕内に育てた。現役最後の場所は、若潮の新入幕の場所でもあり、師弟そろっての幕内土俵入りという偉業をなしとげた。引退後は1960年に部屋を閉じて、同系統で対戦のなかった錦島部屋に移籍、錦島部屋の消滅後は時津風部屋にうつり、停年退職を迎えた。

主な成績

  • 幕内成績 97勝134敗35休
  • 幕内在位 23場所(うち関脇1場所、小結4場所)
  • 金星 3個(玉錦・武蔵山・男女ノ川から各1)

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