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「豊村 (岡山県)」の版間の差分

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| 廃止日 = 1953年2月1日
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| 廃止理由 = 新設合併
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| よみがな = とよそん
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*[[1919年]](大正8年)電灯線架設{{R|角川}}
*[[1919年]](大正8年)電灯線架設{{R|角川}}
*[[1945年]](昭和20年)水害で大きな被害を受けた{{R|角川}}。
*[[1945年]](昭和20年)水害で大きな被害を受けた{{R|角川}}。
*[[1953年]](昭和28年)2月1日、上道郡古都村・西大寺町・可知村・光政村・津田村・九蟠村・金田村、邑久郡太伯村・幸島村・邑久町(一部)と合併し、市制施行し'''[[西大寺 (旧市)|西大寺市]]'''を新設して廃止された{{R|変遷}}{{R|角川}}。
*[[1953年]](昭和28年)2月1日、上道郡古都村・西大寺町・可知村・光政村・津田村・九蟠村・金田村、邑久郡太伯村・幸島村・邑久町(一部)と合併し、市制施行し'''[[西大寺域|西大寺市]]'''を新設して廃止された{{R|変遷}}{{R|角川}}。


=== 地名の由来 ===
=== 地名の由来 ===

2024年4月5日 (金) 01:43時点における版

とよそん
豊村
廃止日 1953年2月1日
廃止理由 新設合併
上道郡古都村西大寺町可知村光政村津田村九蟠村金田村、邑久郡豊村太伯村幸島村邑久町(一部)→ 西大寺市
現在の自治体 岡山市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陽地方
都道府県 岡山県
邑久郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 3,162
国勢調査、1950年)
隣接自治体 邑久町、太伯村、上道郡西大寺町
豊村役場
所在地 岡山県邑久郡豊村大字川口
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豊村(とよそん[1][2])は、岡山県邑久郡にあった。現在の岡山市東区の一部にあたる。

地理

吉井川下流左岸から千町川流域との間の沖積地に位置していた[2]

歴史

  • 1889年(明治22年)6月1日、町村制の施行により、邑久郡川口村、浜村、新村、五明村、門前村、新地村、射越村が合併して村制施行し、豊村が発足[1][2]。旧村名を継承した川口、浜、新、五明、門前、新地、射越の7大字を編成[2]
  • 1892年(明治25年)水害で大きな被害を受けた[2]
  • 1893年(明治26年)水害で大きな被害を受けた[2]
  • 1919年(大正8年)電灯線架設[2]
  • 1945年(昭和20年)水害で大きな被害を受けた[2]
  • 1953年(昭和28年)2月1日、上道郡古都村・西大寺町・可知村・光政村・津田村・九蟠村・金田村、邑久郡太伯村・幸島村・邑久町(一部)と合併し、市制施行し西大寺市を新設して廃止された[1][2]

地名の由来

かつて豊原荘に含まれたことから、豊の村と名付けられたものか[2]

産業

  • 農業[2]
  • 大正期に岡山練乳 (株) (大字浜)が設立し、のちスイス系資本が入り淡路練乳に改称[2]

交通

県道

橋梁

  • 1932年(昭和7年)永安橋(アーチ4連径型、吉井川)竣工[2]

脚注

  1. ^ a b c 『市町村名変遷辞典』525頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『角川日本地名大辞典 33 岡山県』776頁。

参考文献

関連項目