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2006年3月11日 (土) 16:54時点における版

令制国一覧 > 東海道 > 伊賀国

伊賀国 (いがのくに) は、かつて日本の地方行政区分だったの一つで、東海道に位置する。現在の三重県西部の上野盆地一帯にあたる。伊州(いしゅう)と呼ぶこともある。

伊賀国位置図

沿革

天武天皇9年 (680年) に、伊勢国から分かれて成立した。当初は二郡だったが、後に阿拝郡、山田郡、伊賀郡、名張郡の四郡になった。

国府、守護所、一の宮、総社、国分寺

国府は阿拝郡にあり、現在の伊賀市坂之下国町にあたる。1990年平成2年)、1991年(平成3年)の調査で政庁跡が確認された。

守護所は現在の上野市の東条・西条あたりが「府中(こふ)」と呼ばれていた事から、その当たりだと想定されている。

一の宮は上野市の敢国神社(南宮明神)で、初見の史料は「源平盛衰記」である。源範頼源義経入京の際に当国の一宮南宮大菩薩に拝したとある。ただし、それより以前の1165年の史料に伊賀国の神社の筆頭として南宮社が挙げられている。二の宮は、上野市の小宮神社であるが、中世に当社が二の宮を称した記録はなく近世以後の比定である。ただし、伊賀国に二の宮があったことは確かのようである。三の宮は上野市の波多岐神社。「伊賀記」(伝北畠親房著)に「里人称之三宮。又号波太伎社之宇都可明神説見于上」とあるのが初見。四宮以下はないようである。

総社は不詳。上野市府中の府中神社は若宮八幡宮が明治以後に他神社と合祀されて改称したもので、総社ではない。

国分寺の僧寺は、上野市西明寺字長者屋敷にあり、尼寺は上野市西明寺字長楽寺にあった。どのようなものであったかは不詳。

関連項目